1970年代以降、日本が主張していた「アジア雁行経済」が広く認められ、日本はアジアの覇者らしくその先頭を飛ぶ雁になった。一方、文化大革命で崩壊寸前の状態に陥った中国は、体こそ大きいものの最後尾を飛ぶ形になった。

中国が猛烈に追い上げてきて
相互嫌悪のムードが定着

 しかし改革・開放時代に入ってから、中国は猛烈に日本を追い上げてきた。1990年代半ば頃からは、日本に迫ってきた中国を“脅威”と捉えた石原慎太郎氏を始めとする一部の日本人が、「中国を封じ込めろ」と呼び掛け警戒感をあおった。その認識は日本社会に広く浸透、やがて日中両国には相互嫌悪のムードが広がり定着した。

 2005年、拙著『日中はなぜわかり合えないのか』が出版されるとき、私はその前書きに、次のように書いた。

「現在、日中間に現れたいろいろな衝突は、まさに時代の変わり目に出るべくして出てきた問題であり、特に驚くことではない。アジアは1強時代が終わり、これまで1度も経験したことのない2強時代を迎えようとしているのだ。その時代の変化は、『日中友好時代が終わった!』という形で現れたのである。(中略)日中友好時代は終わった!しかし、恐れることはない。日中両国の国民がともに力を合わせて、平和的な両国関係を築けばいい」

 さらに、次のように呼び掛けた。

「新しい日中関係を構築すべき時がやってきた。たとえ、日中両国が友好的な隣国同士という関係を維持できないにしても、少なくとも平和的な隣近所であることを日中両国が目標に求めるべきだ」

 2012年9月、尖閣諸島(中国名は釣魚島)国有化問題が起きる直前に発売された月刊「世界」10月号に、私は論考「『中日関係』という建築物に耐震工事を」を発表し、築40年を迎えた日中関係という“建築物”に、新たな“耐震補強工事”を行うべきだと主張した。

 日中国交正常化の実現にこぎ着けた1972年、当時の建築基準に基づいて、“日中関係ビル”が竣工した。しかし、築年数が40年となった日中関係というビルは、これまで何度もの政治的な嵐と地震に見舞われ、壁のひび割れや基礎の動揺などの現象が見られた。ビルの安全性を脅かすこうした問題を取り除くために、耐震補強のための追加工事や修繕工事を行わなければならないというものだ。