2018年9月、ある人物の一生を描いた評伝が刊行された。社会科学の統合という壮大な目標を掲げ、数学、経済学、社会学、心理学、政治学、宗教学、法律学などを世界の超一流学者から学び、自家薬籠中のものとした異能の天才──その人物の名は小室直樹。自らを“ルンペン”と称しつつベストセラーを連発し、田中角栄を起訴した検事を「殺せ!」と叫ぶなどした一方で、ソビエト崩壊をいち早く予言した破天荒な学者はいかなる人生を歩んだのか。小室氏の死から8年、その生涯を膨大な取材と資料を元に『評伝 小室直樹』としてまとめた村上篤直氏にお話を伺った。前編は長大な評伝が誕生するに至った秘話を語っていただく。(聞き手/ダイヤモンド社論説委員 坪井賢一)
当初予定の5倍に膨れ上がった原稿
坪井賢一(以下、坪井) ダイヤモンド社にとって小室直樹先生は非常にお世話になった方です。初の一般向け書籍『危機の構造』(1976年)は弊社から刊行されています。その意味でも今回の『評伝 小室直樹』(ミネルヴァ書房)の出版には感慨深いものがあります。それにしても、上巻768ページ、下巻746ページ、合わせて1500ページを超えるものすごい大著ですね。重さを計ったところ2冊合わせて1.5kg超でした(笑)。まずは、なぜこれほどの長大な評伝を書くことになったのか、その経緯を教えてください。
村上篤直(以下、村上) 私は2000年に「小室直樹文献目録」というWebサイトを立ち上げています。そこで小室先生の文献情報を整理・公開しつつ未発見の情報を収集するという作業を始めたのです。小室先生と直接お話ししたこともなく、完全に市井の1ファンとしての取り組みでした。
坪井 あのサイトは本当に凄い。私たちのように小室先生の書籍を刊行していた出版社の編集者も参考にしていました。
村上 サイトを始めた際、もちろんいつか先生とお近づきになりたいという思いはありました。しかし、当時の自分はまだまだ勉強不足という思いもあって、特にご連絡差し上げることもしませんでした。そうした状況がずっと続いたのですが、先生が亡くなられる数年前に、やはりお会いしたいと考えて先生に手紙を出したのです。結局そのときはご多忙だったことなどもありお会いできませんでした。ただ、先生の奥様とはお会いできたのです。そうしたご縁もあって、2010年に先生が亡くなられた際にはお葬式にお呼びいただけました。