「この人の曲をきっかけに、クラシックにハマった」という方も多いのがチャイコフスキーです。実は法律学校出身で役人から転身した音楽家だったということはご存じでしたか。書籍『ビジネスに効く世界の教養 クラシック音楽全史』より、一部をご紹介していきます。

ピョートル・チャイコフスキー

 クラシック音楽になじみがないという方も『白鳥の湖』や『くるみ割り人形』はなんとなく聞いたことがある、という方も多いのではないでしょうか。あるいは、「チャイコフスキー国際コンクール」という名を耳にされたことがあるのではないでしょうか。今回は、私たちが“チャイコフスキー”と親しんでいる音楽家、ピョートル・チャイコフスキー(1840~93年)について、ご紹介しましょう。

 チャイコフスキーは、父親はロシアの製鉄所所長、母親は貴族女学校を卒業した教養人という家庭で育ちました。ロシア知識人の典型的な教育に則り、4歳からフランス人の家庭教師について、フランス語、ドイツ語などを学んだそうです。そして音楽に興味を示した彼のために、両親は音楽家庭教師を雇ってピアノを学ばせました。

 ロシアは13~15世紀はモンゴル帝国の政治的支配下にありましたが、1480年にモスクワ大公国として独立。1613年にロマノフ家による王制が始まり、ロシア帝国が拡大します。ロマノフ朝は、1917年のロシア革命まで続きました。17世紀の終わりにピョートル大帝(在位1682~1725年)が現れ、積極的な西欧化政策をとります。首都サンクト・ペテルブルクを建設し、「西欧への窓」とします。西欧化政策とは、「進歩した西欧社会の制度を導入する政策」と考えていいでしょう。日本も後に明治維新によって、服装から音楽、議会制度まで、欧化政策を導入しましたが、同じです。

 チャイコフスキーは法律学校を卒業後、いったん役人になりますが、音楽の道をあきらめきれなかったようです。1862年に誕生したペテルブルク音楽院でアントン・ルビンシテイン(1829~94年)に作曲を師事します。ルビンシテインは西欧各国で活動していた音楽家で、ドイツではメンデルスゾーンと親しかったようです。

 12年間にわたりチャイコフスキーが教鞭を執ったモスクワ音楽院は、1940年にチャイコフスキーの生誕100周年を記念して「チャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院」と改名されました。この音楽院は世界トップクラスで、世界中から才能溢れる学生が集まっています。

 またチャイコフスキーの名が冠された「チャイコフスキー国際コンクール」は、エリザベート王妃国際音楽コンクール、ショパン国際ピアノコンクールなどと並ぶ世界最高峰のコンクールで、ピアノ、ヴァイオリン、チェロ、声楽部門において数多くの著名な音楽家を輩出しています。