クラシック音楽と産業革命の関係をご存じでしょうか? 産業革命以前も、たとえばモーツァルトやベートーヴェンが弾いていたピアノと、現代のそれとは違っていました。しかしベートーヴェンが生きている間にも楽器もどんどん進化し、それを前提に彼らが作る音楽も変わっていったのです。楽器のみならず、クラシック音楽はその時代の政治や経済にも大きく影響されていたので、そうした歴史に思いを馳せながら音楽を聴くのも楽しいかもしれません。書籍『クラシック音楽全史 ビジネスに効く世界の教養』より、産業や政治などの歴史と音楽の関係性について一部をご紹介します。
ピアニスト兼作曲家だったベートーヴェンが使用していたピアノは、現在の最新メカニズムの楽器ではありませんでした(下図)。
彼が生まれる60年ほど前の1709年頃、ピアノの前身といわれるチェンバロの製作者、イタリア人のクリストフォリが、従来のように弦を引っ掻く機構から、弦をハンマーで叩くメカニズムに変更したチェンバロを製作しました。「ピアノ(弱音)とフォルテ(強音)」の両方が出せるチェンバロとして販売した楽器、これが史上初のピアノです。
ベートーヴェンが成人した1790年頃には、打鍵のメカニズムを強化した英国のメーカー、ブロードウッド社のピアノがヨーロッパでもシェア首位を誇り、ベートーヴェンもこの会社のピアノを日常的に愛用していました。
クラシック音楽の発展は、楽器の技術革新のみならず、政治史や経済史と連動しています。
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たとえば、ベートーヴェンはシラーの詩を元に、第9の第4楽章を作曲しました(本連載の前回を参照)。ベートーヴェンの理想は「自由と進歩のみが芸術の世界の目的」(1819年の手紙)というものです。
彼の思想的背景にはイギリスの市民革命(名誉革命など)やフランス革命、そして革命を守る初期のナポレオン精神がありました。当時の大陸欧州の青年たちの多くが、ベートーヴェンと同じように考えていたでしょう。
ベートーヴェンのような音楽家が、貴族階級の使用人から脱し、自由な創作活動で演奏会の入場料を得るようになるのも、市民の権利が増大し、その顧客となれたからできたことです。モーツァルトやベートーヴェンは、その最初期の音楽家でした。
古代・中世以降のヨーロッパは、イスラム圏やインド、東南アジア、中国に比べれば、農産物から科学技術まではるかに後進地域でした。では、市民はどのように経済力を獲得して、富裕層(ブルジョワジー)が増えたのでしょうか。主には、アジアと交易することで、豊かな東方の物産や技術を手に入れていきます。
最初期は、12世紀のヴェネツィア共和国でした。ヴェネツィアの造船技術の発達が大きな影響を全欧州に与えます。ヴェネツィアは音楽だけでなく、商業国家、海洋国家として先頭に立っていました。ヴェネツィア楽派の活躍は、ヴェネツィア市民の経済力が支えていたのです。
ヴェネツィアの経済成長のきっかけは、アルセナール(公営造船所)の設立でした。1104年、最初のアルセナールが登場しました。そして100年、200年と経て、分業システムを導入した大造船所が林立するようになります。この工業力が東地中海を制し、中東からアジアに及ぶ交易を支えていたのです。ちなみに、楽譜印刷業の集中も、ヴェネツィアの商業、金融、技術力が背景にあります。
アルセナールで製造していたのはガレー船(大型人力船)で、地中海で多く使用されました。
中東、アジアへ乗り出して買いつけた物産は、胡椒、香辛料、お茶、コーヒー、絹織物などで、これらをヨーロッパ各地で売って巨万の富を得ました。安く調達して高く売るのが商売ですから、情報も物産も独占していたヴェネツィア商人はもうかります。
15世紀から17世紀の大航海時代になると、コロンブスのアメリカ大陸発見以来、ヨーロッパの視線は西方、大西洋に向かい、ヴェネツィアは相対的に没落します。大航海時代は当初、カトリックのスペインとポルトガルが主導しました。コロンブスはイタリア人ですが、スペイン女王の投資をもとに大西洋を横断します。そして16世紀後半以降は、プロテスタントのオランダとイギリスが大航海時代の主役になり、覇権国が交代します。