叙勲などは、一般の人には遠い話かもしれませんが、その人なりに承認欲求の的となってしまう勲章はあるものです。

 かく言う私にも、それはありました。

 私にとっての重要なアウトプットの1つはテレビへの出演でした。かつて私はNHKのニュース番組のメインキャスターを務めていた時期がありました。仕事ですからインプットでもあるわけですが、私にとっては大切なアウトプット、社会からのご褒美でもあったのです。

 それがいつしかなくなりました。正直に白状すれば、そのことで自分が非常に惨めに思えた時期もありました。

 内容は違えども、多くの人にそうした経験は訪れるものだと思います。定年退職で肩書きがなくなった時も、それと似ているのかもしれません。

大企業の役職経験者ほど
承認欲求の虜になりやすい

 特に大企業で部長や取締役になっていた人は要注意です。過去のものであればあるほど、自分のインプットは大きく見えます。自分が得たもの、例えば企業内での役職は年を経るに従って、ものすごく大きくて価値のあるものになっていきます。「大企業の部長までも経験したような大物の俺様」ができ上がるわけです。

 そのことに対して、定年後に彼が社会に要求するアウトプット(ご褒美)は、周囲からの尊敬と称賛でしょう。「重く大切に扱われてしかるべきである」と感じ始めます。言ってみれば、「認められたい、称賛されたい、大切にされたい」という、承認欲求の虜になってしまうわけです。ボランティアなどの現場でも、そうした証左がよく見受けられます。

 そんな時に、その状況にいつまでも未練たらしく食い下がって、その栄光を吹聴して回るのか、それとも歩むべき方向をすっぱりと切り替えるのか、そこが重要です。