1 
本来はブチ切れないアイドルがブチ切れる、「新鮮さ」
2 本来はウザいブチ切れの、「おもしろさ」
3 本来はウザいブチ切れの、「サウナ的」魅力
4 本来はウザいブチ切れの、「広告的」魅力

4つについて、簡単に説明していきます。

1.
本来はブチ切れないアイドルがブチ切れる、「新鮮さ」

まずなんといっても、この番組が「Yahoo! ニュース」やテレビ誌で話題になった理由は、「グラビアアイドル×ブチ切れ」という「見たことない組み合わせ」だと思います。基本的には笑顔のイメージが強いグラビアアイドルの中でも、特に吉木りささんは、やさしそうで笑っている印象の強いアイドルでした。そんな人物がブチ切れるという違和感に、まずインパクトがあったのだと思います。

しかし、この「組み合わせの違和感」だけでは、「魅力」として不十分です。

2. 本来はウザいブチ切れの、「おもしろさ」

人のケンカや、怒っている人を揶揄した「ふざけた怒り」をおもしろがるバラエティ番組は、すでに多くありました。しかし、『吉木りさに怒られたい』は、ふざけることのない「リアルなブチ切れ」。それも、視聴者があたかも実際にブチ切れられているかのように、主観映像で切り取ってブチ切れるものでした。

「おもしろさ」を生み出す1つの手法として、「真面目も、度が過ぎるとおもしろい」があります「量が過剰」であることは、「おもしろさ」を生み出すのです。

これは「笑い」を生み出すための常套手段ですが、「怒り」にもあてはまります。「人に怒られる」というのは不愉快ですが、こちらの想像を超えるくらい真面目にブチ切れていると、どこかの時点で「おもしろい」になってしまうのです。

しかし、これは理屈です。理屈をわかっているに越したことはないのですが、それよりも、現実社会を観察する中で「おもしろい!」と思う一瞬を、自分の脳みその中に切り取ってストックしておくことが大切なのだと思います。

「おもしろさ」の発見は、普段の何気ない日常や、テレビや映画や読書などあらゆる場面にヒントが潜んでいます。「過剰な怒りがちょっとおもしろい」というぼくなりの発見は、実は、もともとまったく違うところから着想を得ています。

それは、中国の「文化大革命」のドキュメンタリーでした。まったく番組名も思い出せないのですが、そのドキュメンタリーをたまたま観たときに、ひたすらカメラに向かってブチ切れまくっている中国人のインタビュー映像があったのです。とても強い怒りのシーンを何回もつなげて使用していて、その映像が、なぜか心に残ったのです。丹念にストーリーを追って観ていたわけではなく、番組に感動して覚えているとかいうわけでもありません。

しかし、日本人に比べて怒りを赤裸々に表現するその中国人の姿が、ことあるごとに1シーンとして思い出され、ドキュメンタリーとしての内容とは別に、「過剰な怒りには何かひっかかるものがあるな」と、心にじわじわ残りはじめたのです。

「おもしろい」と感じた一瞬のシーンを「切り取って覚えておく」ことは、企画を立てたり、演出する際に、とても大切です。なぜなら、その一瞬に心をひかれたということは、そこに何らかの「魅力」があったということなので。そうしたところから、『吉木りさに怒られたい』の「怒り」の魅力の引き出し方は決まっていきました。

しかし、過剰さや主観映像という「切り取り方」でもまだ、魅力不十分です。一瞬のおもしろさがあるだけでは、われわれテレビ屋にとって「商品」である番組として不十分なのです。たかだが5分であっても「ストーリー」であることを放棄してはいけない。そうでなければ、大切な公共電波を使って流すわけにはいかないという強い意志です。

裏を返せば、たかだか5分だからこそ、そこに強い意志を詰め込めば、比類のないほど狂ったコンテンツになるということです。

そこで詰め込んだのが、3つめの魅力です。

3.本来はウザいブチ切れの、「サウナ的」魅力

一般的に、エンターテインメントしての「ストーリー」には、見終わったあとに「カタルシス」があります。そうした物語構成の基本は、よく知られた「起承転結」ですが、5分番組という短い時間では、そこまで描けません。5分でも十分短いと思いますが、5分番組といいつつCMも入るので、実際に番組として使える時間は、約2分です。

そこで、この番組でとった手法は、「めっちゃブチ切れてたマイナスのエネルギーを、ラスト手前で一気にプラスに変える」という手法でした。

「カス」だの「ゴミ」だの罵詈雑言を吐くけれど、実は「ぜんぶ、おまえが好きすぎて言ってんだよ、ボケ!」と、最後にもっとも激しくブチ切れるという構造を定型としたのです。

悪口を言われるだけだと、それはおもしろくても「負」のワードですが、最後に「おまえが好きすぎて言ってんだよボケ!」と、あっさりひと言でひっくり返すだけで、「負」の価値が「正」に一転するのです。しかも、「ブチ切れ」、すなわち負の価値の熱量が高ければ高いほど、その落差は大きくなります。

感覚としては、「サウナ」に似ています。わざわざ熱い所に入るなんて、ストレス以外の何物でもありません。しかし、サウナ室のストレスが、後に水風呂に入ることで一転、「快楽」の前フリに変身するという構造です。

つまり、「ブチ切れられる」というネガティブな表現を、その後「価値」を転換させる仕掛けを作ることで、「ストレス」を「魅力」に変える。そうした「サウナ」的なカタルシスを、『吉木りさに怒られたい』という番組では、5分中で表現しました。

もちろん怒られる内容、すなわちストーリーも、たかだか2分という表現枠の中で、可能な限りわかりやすく、笑いのオブラートに包みながらも、カール・シュミットや、エーリッヒ・フロムらの著書のエッセンスを一滴だけ抽出してまぜこむなど、限りなく密度の高いものを目指しました。毎回2分の台本に命を削るほど悩み、全身全霊を込めて書いたつもりです。

すると、まったく計算していませんでしたが、当初、「映像のおもしろさ」からYahoo!ニュースなどで話題になったのとは別の角度から、読売新聞の文化部記者の方などが、カール・シュミットを引用した部分などを引き合いに出しながら、けっこうマジな批評記事を書いてくださるなど、5分番組とは思えないほど多方面に話題が拡大しました。

やっぱりみんな、サウナが好きなんです。

4.本来はウザいブチ切れの、「広告的」魅力

ディレクターとしては、ここまでが、番組作りに関する「ネガティブなものの魅力を引き出す」ために駆使した手法でした。

しかし、実は『吉木りさに怒られたい』は、ふつうのテレビ番組とは異なる成立経緯があったため、もう1つ「ネガティブなものの魅力」を引き出す工夫を仕掛けました。

それが、「ブチ切れ」と「広告」の関係です。この番組は当初、「広告業界」からかなり注目を浴びました。それは、この番組がいわゆるふつうの番組とは異なる「営業枠」と言われる放送枠の番組だったからです。

視聴者のみなさんにはあまり関係のない、あくまでテレビ局の都合で大変申し訳ないのですが、テレビ番組には、大きく分けて「視聴率」をとることを目的とする「編成枠」とよばれる枠と、「営業案件」を処理する「営業枠」が厳然と分かれて存在しています。

前者は、いわゆるゴールデン番組で多く流れているような番組です。「おもしろい」といわれる番組は、比較的こちらが多くなっています。後者はどちらかというと「スポンサーの商品を宣伝したい」とか、スポンサーのイメージを上げるために、営業局がクライアントの意向を取り入れながら作る番組です。この番組が5分というとても短い放送枠だったのも、そうした理由からきています。5分なら、そんなに高くないので、企業も気軽なのです。

ですから、すべてとは言いませんが、どうしても多くの「営業番組」は、よく言えば上品、裏を返せば「おもしろみなく」おさまりがちです。

また、5分という短い番組だと、じっくり企業のイメージを上げている余裕もなく、とりあえず上品な空気を作り、その商品を「ほめる」ことが基本スタンスになります。

しかし、『吉木りさに怒られたい』は、とんでもなく、下品でした。そして基本が「ブチ切れ」ですから、番組の構成要素の9割が「悪口」でした。これは、従来の「営業番組」や「広告」の手法の真逆です。

しかし、さんざん「悪口」を並べ、物語が完結したあとに、30秒の「インフォマーシャル」という番組連動CMの部分で、素に戻った吉木りささんに「こんなポンコツにならないためのツールが……」と、当該商品を堂々とおすすめしてもらうことにしたのです。

ブチ切れている内容の「ネガティブさ」は、裏を返せば、その「ブチ切れている問題を解決する商品・サービスの広告」にとってはプラスに働くという構造ができあがる。つまり一見ネガティブなものでも、「機能」次第でポジティブな価値を持たせることができるのです。

本編で商品をほめるわけではないので、営業番組っぽくもないですし、あくまでそのCMの部分は観なくても番組として完結しているのですが、CMの部分が、さらにもう一段の「オチ」にもなっていて楽しめるという構造です。ただ宣伝するだけではつまらないですが、「●●っていうCMへの壮大なフリかい!」とつっこんで観ていただけるような構造です。これも、「ブチ切れ」や「悪口」というネガティブなものの、ポジティブな魅力でした。

結果、『吉木りさに怒られたい』は、先に述べたYahoo!ニュースやテレビ誌などのエンタメ情報的視点からの取材、また読売新聞のような文化部的視点のほかに、宣伝会議の雑誌『広報会議』や、事業構想大学院大学の雑誌『月刊 事業構想』など、普段あまりお付き合いのないメディアからも取材の入る珍しい番組となりました。

このように、一見「ネガティブ」なものでも、

・「組み合わせ方」次第で
・「切り取り方」次第で
・「ストーリー」次第で
・「機能」次第で

ポジティブな魅力を発見することができます。

この『吉木りさに怒られたい』は、放送後、画面に向かって美女がブチ切れるCMがとつぜん増えたり、『めちゃ2イケてるッ!』に「加藤浩次に怒られたい」としてパロディされたり、DMMに「◯◯に怒られたい」というカテゴリーができて『上原亜衣に怒られたい』『波多野結衣に怒られたい』『篠田あゆみに怒られたい』など、そうそうたる名女優がブチ切れるDVDが勝手に発売されたりするなど、さまざまな方面で、「美女の主観ブチ切れ」がパロディされていきました。もちろん、すべてチェックしました。

他にも、以前担当していた『所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!』で立ち上げた「遠距離通勤! なぜそんなに遠くから通っているんですか?」という企画は、一見ネガティブな「遠距離通勤」の魅力を引き出すVTR。『世界ナゼそこに?日本人』という番組で、ペルーのカラバイーヨというスラム街を取材した際には、スラムの悲惨さだけではなく、そこに集う若者の夢と熱も描くようにしました。どちらも高視聴率でしたし、前者は現在でも同番組の人気企画になっています。

「ネガティブなものの魅力を発見する」ことが、バズったり、熱狂的なファンのつく「見たことないおもしろいもの」を生み出すために有効な手法なのです。

さて、お待たせしました。

冒頭で書いた「南無阿弥陀仏」の件です。

ぼくが述べたいのは、親鸞聖人、マーケティングの神なんじゃないかと思う件についてです。