東京で会った機会とは、今月中旬に開催されたJリーグ実行委員会。J3までを含めたすべてのJクラブの実行委員(代表取締役)を前に、セレッソの次期代表取締役社長として初めて挨拶した森島は、期待を込められた万雷の拍手で歓迎されている。

 そして、続けて行われた懇親会の席で、さっそく野々村と話し込んだ。実行委員の面々に森島を紹介したセレッソの玉田稔前代表取締役社長は、その時の光景を思い出しながら目を細める。

「同じ年齢で仲も良くて、静岡の高校時代から切磋琢磨してきた2人ですからね。これからも的確なアドバイスを送ってくれるんじゃないでしょうか」

他チーム選手にもアドバイスを求める
「ミスターセレッソ」としての意地

 野々村とのやり取りを聞いて、18年前に森島が取った行動を思い出さずにはいられなかった。2000年5月20日。J1のファーストステージで2位につけていたセレッソは、勝ち点わずか1ポイント差で首位に立つ横浜F・マリノスのホーム、三ツ沢球技場での決戦に臨んだ。

 残りは2試合。負ければ目の前でマリノスに優勝を決められ、勝てば逆王手をかけられる。しかし、Jリーグに参戦して6年目のセレッソは、生きるか死ぬかの大一番を経験したことがない。どのように戦えばいいのか。思考回路をフル稼働させても、ヒントすら浮かんで来ない。

 気がついた時には森島は携帯電話を握りしめ、藁にもすがる思いで「どのようにすれば大事な試合で勝てるのか」と問いかけた。相手は黄金時代を迎えていたジュビロ磐田で司令塔を担う名波浩。同じ1972年生まれで、静岡・清水商業高時代から天才と称されたレフティーは静かに切り出した。

「まずは守備を一生懸命頑張ること。そうすればチーム全体が、少しずつ落ち着いてくるから」

 日本代表としてもワールドカップ・フランス大会をともに戦った盟友から伝えられた、プレッシャーを力に変える術。地に足を着けて戦えたセレッソは、2点のリードを追いつかれる展開にも動じず、後半終了間際にあげた決勝ゴールで天王山を制した。

 愛するセレッソのためならば、例えチームの垣根を越えてでもアドバイスを求める。昔も今も、ユニフォームを着ていてもスーツにネクタイ姿になっても、森島を駆り立てる原動力は変わらない。