J1のサガン鳥栖に加入した元スペイン代表のスーパースター、FWフェルナンド・トーレス(34)がホームにベガルタ仙台を迎える22日のJ1第17節でデビューする。類稀なスピードと得点感覚を武器に一時代を築き上げ、ファンやサポーターから「エル・ニーニョ(神の子)」の愛称で親しまれるストライカーが、54を数えるJクラブのホームタウンの中で最も人口が少ない佐賀県鳥栖市になぜ降り立ったのか。アメリカや中国、オーストラリアを巻き込んだ争奪戦を制した舞台裏を探っていくと、常にチャレンジ精神と熱意を抱きながら成長を続けてきたサガンと竹原稔・代表取締役社長(57)が抱く、壮大な夢が浮かび上がってくる。(ノンフィクションライター 藤江直人)
「交渉決裂」の報道から電撃的入団へ
サガン鳥栖が「最初に関心を示してくれた」
人口およそ7万3000人。J3までを含めて54を数えるJクラブのホームタウンの中で、最も人口の少ない佐賀県鳥栖市が沸き返っている。ファンやサポーターから熱い視線を浴びているのは、スペイン代表のエースストライカーとして一時代を築いた超大物フェルナンド・トーレスだ。
ラ・リーガ1部の強豪アトレティコ・マドリードを、昨シーズン限りで退団すると表明していたトーレスのサガン鳥栖への加入が決まったのは今月10日。一時は交渉決裂、あるいは破談というネガティブなニュースが報じられていた状況下での、まさに電撃的な発表だった。
15日に来日して、羽田空港からそのまま向かった東京・千代田区の帝国ホテルで入団会見に臨んだトーレスは、新天地にサガンを選んだ最大の理由として、サガンを運営する株式会社サガン・ドリームスの竹原稔代表取締役社長からひしひしと伝わってきた熱意をあげている。
「この数ヵ月間、いろいろな国からオファーをもらいました。その中で最初に私へ関心を示してくれたのが、竹原社長とサガン鳥栖でした。私にとってこれは非常に重要なことです。数ヵ月にわたって話をすることができたし、時間が欲しいとお願いした時には私の考えを尊重してくれた。私や家族が必要なことをカバーすべく、いろいろと尽力もしてくれたので」
アトレティコの下部組織で心技体を磨いたトーレスは、17歳だった2001年5月にトップチームでデビュー。リヴァプール、チェルシー、ACミランをへて2015年1月に古巣へ復帰し、下部組織から数えて16年目となる2017-18シーズンの開幕を前に秘かに決意を固めた。