W杯初出場がかかった大一番で、なぜあのようなシュートが打てたのか。サッカー経験者であれば、あのシーンでループを選択することがいかに難解で、特殊な感覚であるかが理解いただけるはずだ。

 現在、Jリーグ・名古屋グランパスでアカデミーダイレクターを務める山口は「あのループシュートは、前橋育英高校時代に毎日のようにトライしていたプレー。あの時代、見方によっては『カッコつけてる』と言われがちだったが、恩師である山田(耕介)監督はそういうプレーを逆に推奨してくれて、いつも褒めてくれた。高校時代にあの感覚を養うことができたから、ワールドカップ予選の大事な場面でループシュートが自然に選択できたのかなと思う」と述懐する。

日本一勝負弱い監督の「根気」

 山田監督は長崎県島原商出身で2018年現在59才。長崎の国見高校サッカー部を率いていたことで有名な小嶺忠敏監督(現長崎総合科学大附)の教え子にあたる。

 36年目の日本一は、サラリーマンで言えば60歳の定年間際に偉業を成し遂げるイメージだろうか。これまで70人以上のプロ選手を育てた指揮官は、近年の大会で常に優勝候補筆頭にあげられながらも準決勝で4度、決勝で2度敗退。「日本一勝負弱い監督」と揶揄されながらも、根気強く頂点にたどり着いた。

 山田監督の指導の原点は、「出る杭は叩かず」。厳しい指導によって剪定(せんてい)はするが、決して幹にハサミやノコギリを入れることはない。「選手の粗探しをするのではなく、選手の長所を見つけて徹底的に伸ばすことが指導者としての使命」という。

自ら代表離脱の松田直樹に「道を貫け」

 1992年、前橋育英に「出すぎた杭」が入学してきた。“日本サッカー史上最強のディフェンダー”として名を馳せ、のちに日本代表プレーヤーとして日韓W杯に出場した松田直樹である。

 中学時代はFWだったが、山田監督にディフェンスの能力を見出されて、しぶしぶDFに転向。やんちゃを絵に描いたような個性的なプレーヤーで、高校時代には何度も指揮官と衝突したという。しかし、山田監督は、愛のムチを入れて彼の成長を見守っていった。