松田直樹さん
松本山雅でプレーしていた松田直樹さん。松田さんの突然の死から7年が経過した Photo:AFLO

魂をほとばしらせる熱きプレーで歴史に名前を刻んだ名ディフェンダー、松田直樹さんが34歳の若さで急死して7年の歳月が過ぎた。最後の所属チームとなった松本山雅FCは、故人の命日だった8月4日の明治安田生命J2リーグ第27節で、ジェフユナイテッド千葉から3‐2の逆転勝利をゲット。命日前後に行われたリーグ戦で初めて白星を天国へ捧げた。日本代表としても活躍した松田さんは、日本サッカー界に何を伝えたのか。J2の首位を走る松本山雅の反町康治監督(54)と横浜F・マリノス時代からの盟友・田中隼磨(36)の言葉、そして生前の故人に行った忘れられないインタビュー取材を蘇らせながら、松田さんが残した軌跡を再現する。(ノンフィクションライター 藤江直人)

「オレは、サッカーが大好きだ」
これだけは誰にも負けたくない

 故人は笑顔こそ浮かべていたが、内心ではちょっぴりムッとしていたのではないかと今では思っている。大事にしていた聖域に土足で入り込んでしまったことを、今では謝りようがない。

 あの日も暑い夏だった。2009年8月。今は撤退してしまった横浜みなとみらいのマリノスタウン内にある瀟洒なクラブハウスの2階で、横浜F・マリノスに所属していた松田直樹さんにインタビュー取材を行った時のやり取りだ。

 ある雑誌の企画で、テーマは「一流選手になるための7ヵ条」だった。松田さんは「オレなんて全然一流じゃないよ」と謙遜しながらも、時間の経過とともにテンションをどんどん上昇させ、熱い言葉の洪水をこれでもか、とばかりに浴びせてきた。

 こちらも必死に受け止めながら共同作業の形で7ヵ条をまとめ上げ、最終的に真っ白な短冊状の色紙に直筆でしたたためてもらった。しかし、最後となる7つ目で「オレは」と記し始めると、松田さんはしばし沈黙した後に大きな「読点」を打った。

 色紙はそれほど大きくはなかった。その後の文字が綴れなくなるのではと、思わず「読点はない方がいいのでは」と話しかけたのが冒頭でのやり取りだ。首を横に振った松田さんの反応から、読点に深い意味を込めていたことが伝わってきた。そして、読点の後に力強い文字でこう綴った。

「サッカーが大好きだ」

 インタビューのハイライトとなった「これだけは負けない、絶対に譲れない一線はありますか」という質問に対する答えだった。まるで子どもように無邪気な笑顔を浮かべた松田さんは「サッカー好き度、かな」と切り出すと、胸中に抱く思いの丈を語ってくれた。