「やはりお前たち日本人には、自国の状況が分かっていない。GDPの2倍を超える膨大な債務、経済も落ち目、資源もない、少子高齢化も世界で一番進んでいる。にもかかわらず、日本政府がこれらの問題に対策を講じる見込みもない。要するに過去の遺産で生きている国だ。国と国債の格付けも、近いうちに下げられる。おまけに、今回の地震だ。次の地震の確率も高い。国際社会は、日本の危うさにおののいてるんだ。とばっちりを受けたくないからな。こんな状況に目を付けるのが、ヘッジファンドとウォール街だ。すでに新たなCDSが組まれている。日本用のものだ」

「他人の国に、勝手に保険をかけるってことか」

「日本という病人の症状はカルテだけを見れば、瀕死の重病人にも見えるんだ」

 CDSとは他人に生命保険をかけるようなもの、とも言えるのだ。かけた本人が元気ならば掛け金も安い。しかし病気なら当然掛け金は高くなる。重病であればあるほど掛け金は高くなる。そして死ねば保険が入ってくる。

 そうなれば、保険金をかけた者の中には、死を願う者が出てくるかもしれない。さらに、積極的に死に誘導する者が出てくるおそれもある。

「そのCDSを狙って、世界のマネーが動き出している」

「いざとなれば政府が乗りだすさ。日本政府も黙って殺されるのを待つほど愚かじゃない」

「問題はそれまでの時間だ」

 ロバートは平然とした口調で言った。

「彼らは日本政府の対応はそんなに早くないと踏んでいる。そしてそれは、おそらく事実だ。俺だって、そう思ってる。日本政府は何らかの対応策は取るだろうが、彼らはその前に売り抜ける。気がついた時には、彼らの口座には信じられないほどの桁数のマネーが入っているということだ。ギリシャのときもそうだった。EUもIMFの対応も遅かった。と言うより、彼らのスピードについていけなかった」

「しかし世界一のヘッジファンドと言っても、しょせん個人の集団だ。日本は国家として対応出来るだけの資金も知恵も持っている」

 森嶋は、知恵と言う言葉を使った自分に驚いたが、やはり日本が投機マネーに脅かされるとは思えなかった。ネコがゾウに向かっていくようなものだ。しかしロバートは執拗だった。

「お前たちは、彼らの本当の恐ろしさを知らない。ただの金儲けに狂った者たちの集団じゃない。世界最高峰の頭脳集団だ。アメリカの最高の大学でトップクラスを走り、ウォール街で十分に経験を積んだ者たちなんだ。中にはノーベル賞受賞者もいる。甘く見ると必ず痛い目に合う。俺の話はけっして大ボラ吹きや被害妄想狂やペシミストの話なんかじゃない。俺がオプティミストなのは知ってるだろ」

「彼らの資金は100億円か、500億円か。それとも1000億単位に届いているのか。だが、その程度の資金で日本国債を暴落させたり、日本の財政を破綻させることなんか出来っこない」

 森嶋は言い切った。

 しかし、と言ってロバートは森嶋を見すえた。

「人の心は、時に信じられないほど弱くなる。冷静で思慮深い日本人でも、心の弱みは持っている。恐怖はもとより、時には愛情さえも弱みになる。彼らは巧みにそれを突いてくる。はたしてそれを跳ね返して、冷静さを保つことが出来るか」

「それが我々、日本人だ」

 思わず出た言葉だった。

 ロバートが肩をすくめた。これ以上言っても無駄だと諦めたのだ。

(つづく)

※本連載の内容は、すべてフィクションです。
※本連載は、毎週(月)(水)(金)に掲載いたします。