「昭和の奇跡」は長く続かず、日本はリスクに直面するように

 要するに「昭和」とは、東西冷戦という特殊な環境下で、「米国に守られ、食べさせてもらう」ことで、高度経済成長を達成できたという「奇跡」の時代だった。だが、「奇跡」は長く続かなかった。

 日本が世界第2位の経済大国になった1970年代後半、米国との貿易摩擦が起こった。日本が非常に守られた状態で、一方的に米国市場に輸出して儲けているのは、アンフェアだと批判された(第170回・P.2)。また、「経済大国としての責任を果たすべきだ」との声が、世界中から寄せられるようになった。

 東西冷戦の終結後、日本は今までのように「奇跡」を謳歌できなくなっていった。米ソが勢力を均衡させていた緊張が緩んだために、さまざまな地域紛争が起こるようになった。「湾岸戦争」で「カネを出すだけ」と世界から批判されてショックを受け日本は、「ショウ・ザ・フラッグ」を合言葉に、「イラク戦争」や「対テロ戦争」に自衛隊の参加を拡大していかざるを得なくなった。

 紛争の危機は、遠い中東の話だけではなくなった。「北朝鮮の核ミサイルの開発」(第186回)や「中国の海洋進出」(第187回)によって、日本が地域紛争に巻き込まれるリスクを、国民が明確に認識するようになった。国論を二分しながらも、自衛隊の活動範囲は、次第に拡大されていった。

 さらに、東西冷戦の終結によって、米ソに抑えられていたさまざまな国が、「世界の工場」として台頭した。民主化した東欧諸国、南米、東南アジア、そしてなによりも中国が「新興国」となり、「グローバルな大競争」を繰り広げるようになった。

 日本はこの競争に勝つために、賃金の安い新興国へ工場を移転した。だが、工場が消えた国内は「空洞化」してしまった。日本は、空洞化した国内経済の穴を埋めるために、新しい産業への構造転換が必要だった。だが、「昭和の成功体験」を過信した人たちによる、「これまでの成功したやり方に従え」という有形無形のプレッシャーによって、構造転換は先送りされ、新しい産業を生み出すイノベーションの芽は摘まれ続けた。