環境問題が騒がれる中、過剰包装について非難の声が多い。しかし包装という行為はどこでも大切にされているように思う。
何かモノをもらうとき、やはり裸だと寂しいし、悲しい。モノにたどり着く時間を上手に演出することは、モノが与える力を大きくする。
美人は包装がうまい。手先が器用で包み方がうまいという話ではなく、場に応じた包装を意識していると思う。デパートなどで包装をしてもらうときもどう包装されるのかを気にしている。
プレゼントだけではない。ちょっとモノを渡したいときにそのままではなく、工夫がある。例えば、お裾わけなら、保存しやすいとか食べやすいとか一工夫がある。すぐ使ってほしいものなら、あえて包装を省略する方法も考える。
渡された人がどういう開け方をして、どういう使い方をするかを想像し、喜ばれることに自分の喜びを見つけることが習慣化しているのだろう。開け方にストーリーがあるようだ。
そして、自分が何かをもらったときに、包装を意識して開けている。だから、自然と技が身についていく。
これはメールのつくり方に通じる。気持ちのよいメールというのがある。伝えたいことを伝えるだけでなく、読み手の行動を意識して、ちょっとした挨拶が入っている。
メールは手書きと違い、字に感情がこもりにくい。そのため、要件だけを書くとなんとなく冷たく感じるのだ。一方で余計なことを長々と書かれると何が言いたいのかわからなくなってしまい、こんなことをいちいち読ませるなという気持ちを生んでしまう。
シンプルに。しかもちょっとした「包装」になる言葉。それはやはり他人からのメールの「包装」を気にすることだ。自分が気持ちよく読めるメールというのがある。その「包装」をきちんと覚えておくといい。特に重要なのが締めくくりだ。どう気持ちよく伝えるかが工夫されているものをストックしておく。
どんな伝達にもストーリーがあると気持ちよく伝わっていく。すべてが字数制限のあるSNSのような文章になっていく必要はない。
モノの包装にも場違いな色使いや素材であったり、過剰すぎて不快感を与えるような方法であったりするように、やはり余計なことが長々と書かれていることは残念である。
言葉の包装上手。その一言が「美人のもと」をつくっていく。