黒田監督によれば体のサイズには関係なく、背筋力と体の柔軟性を併せ持つ選手にロングスロワーの適性があることが多いという。両方を備えていた澤田は風呂上がりに必ずストレッチや器具を使ったトレーニングを課し、腰周りと肩甲骨周りをほぐしながら可動域を広げる努力を欠かさなかった。

 選手たちのそうした特徴を、黒田監督は常に把握してきた。そして、最終ラインの前にアンカーを置く、慣れ親しんできた[4-1-4-1]から、レギュラーへ抜擢した澤田を含めて2枚のボランチを置く[4-2-3-1]へシステムを変更。中盤の守備を厚くした上で、飛び道具をも忍ばせた。

「今までほとんど見せてこなかった分だけ、相手チームには澤田のデータがない。いつかは澤田を使いたいと考えていました」

超一級品のテクニックを持つ
バスケスをあえてスパルタ教育

 システムこそ変えたものの、ストロングポイントは変わらない。1年前に新チームが結成された時からの武器は、左右に配置されたドリブラー。左の檀崎と右のMFバスケス・バイロンは大会を通じて相手の脅威となり続けたが、チリ国籍を持つ後者は最上級生になるまで一度もAチームでプレーしていなかった。

 9歳の時に家族とともに来日したバスケスは、中学時代は埼玉県の東松山ペレーニアFCジュニアユースに所属。練習を終えると、自宅の前に広がる公園で日が暮れるまでドリブルの個人練習に明け暮れた。

「暇さえあれば一人で、ひたすらドリブルしていました。マーカーをいくつも並べて、相手選手だと思って抜き去っていました」

 所属チームで「10番」を背負ったバスケスの下には、高校進学を前に複数のJクラブのユースチームからオファーが届いた。熟慮した末に全国大会の舞台に近く、プレミアリーグEASTでも戦う青森山田が、さらに成長していく上でベストの環境だと決断した。

 しかし、待っていたのは公式戦に出られない日々だった。利き足の左足に搭載された超一級品のテクニックを認めながらも、試合から遠ざけた理由を黒田監督はこう説明してくれた。

「どうしても左足に固執するし、中学まではすべてバイロンにボールが集まる状況でプレーしていた影響もあって、守備をしたことがないというか、教えられたこともなかった。だからこそ試合から干しながら、右足や守備を徹底的に練習させました。そんなものじゃプロになっても通用しないぞ、と」