2011年度決算でソニー、パナソニック、シャープら日本の電機会社が、巨額の赤字を計上したのは記憶に新しい。要因として震災とタイの大洪水、円高の影響が大きいと言われるが、一方でグローバリゼーションが進行し国際競争が激化する状況下、米国企業や韓国企業との比較のなかで、日本企業の経営の問題点も指摘される。キャッシュレジスター大手NCRの日本支社会長、米国本社社長を歴任し、日米双方の企業風土に精通するウィリアム・アンダーソン氏に、今日の日本企業への処方箋を聞いた。(聞き手/ジャーナリスト 大野和基)

日本NCR社長から
米国本社の社長に抜擢

William S. Anderson
1919年、中国・漢口生まれ。英米両国籍を持つ。第2次大戦では香港義勇軍に参加、日本軍の捕虜となった経験を持つ。戦後、ロンドンでNCRに入社し、香港NCR、日本NCRのトップを歴任。1972年、当時苦境にあった米国のNCR本社社長に大抜擢され、リストラを敢行、就任1年で黒字化に成功した。近著に『ビル・アンダーソンの昭和史』(森山尚美訳、原書房刊)がある

――今までの人生で振り返ってみて、もっとも予期せぬ出来事は何だったでしょうか。

 日本を離れてアメリカに行くように言われたことだと思います。当時NCRには全世界で10万人の従業員がおり、本社トップの役員は30人ほどでした。日本NCRとかドイツNCRのトップは、支社のマネジャーにすぎません。私がアメリカに行ったら、トップマネジメントで私以外はすべてアメリカ人でした。

 私は日本NCRのトップであったことにとても満足していました、トラブルのあったアメリカ本社のトップになるよりも、日本支社のトップにいた方が、多くの点でよかったのです。特に調子がいい会社の会長であることは、王様のようなものだからです。全能の神様と同じです。素晴らしいオフィスがあり、スタッフも一流。豪華な家に住み、お手伝いさんも7人いて、うち6人は会社が給料を払ってくれました。ですから、日本を離れたくなかったのです。

――それではアメリカ行きを請われたときは、行きたくないと言ったのですか。

 会社を愛し、忠誠心を持っていたら、どうしてノ-と言えるでしょうか。妻からも、会社に対して義理があると言われました。私はアジアではトップでしたが、アメリカ本社のトップになることは私にとっても、会社全体にとっても驚きでした。当時の日経新聞でも、かなり詳細な記事が出ました。