したがって、本来であれば、リベラル派が反グローバリゼーションの側に回ってもおかしくはない。

 そして、もしリベラル派がそうしていたら、労働者階級や低所得者層はリベラル派を支持していただろう。これは、いわば「リベラルなポピュリズム」である。

 ポピュリズムの語源は「人民(ポプルス)」だが、その人民に寄り添うことこそが、リベラル派の本来の使命だったはずだ。つまり、もとをただせば、リベラル派こそが、ポピュリストだったのだ。

 ところが、実際に、労働者階級や低所得者層が支持したのは、「非リベラルなポピュリズム」だった。彼らはリベラル派を支持しなかったのである。

リベラル派の関心は個人に
「連帯」「平等」より「多様性」

 なぜ、こうなったのか。

 その理由は、リベラル派の変質にある。

 もともと、1960年代後半までのリベラル派は、経済社会を「資本家階級対労働者階級」という階級闘争の図式で考えるマルクス主義の影響を強く受けつつ、経済社会の変革を求めていた。

 この頃のリベラル派は、確かに労働者階級の味方だった。

 しかし、1968年以降、フランスや日本などで学生運動が過激化して失敗に終わり、同時に、ソ連や中国など社会主義国における抑圧的な体制の現実が明らかになっていくと、リベラル派の社会変革のビジョンは急速に色あせていった。

 こうして、リベラル派の知識人たちの多くは、経済社会を階級闘争とみなすマルクス主義から離れていった。それだけではなく、次第に、資本主義体制そのものの構造的な問題に真正面から取り組むことすら、やめてしまったのである。

 こうしたリベラル派が「階級」の代わりに関心を寄せたのは、「アイデンティティ」(女性、エスニック・マイノリティー、LGBTなど)だった。

 冷戦が終了し、社会主義体制が崩壊した後の1990年代以降は、リベラル派の「アイデンティティー」重視は、ますます決定的になった。

 こうした流れに伴って、リベラル派の関心は、社会・階級・団体のような「集団」から、「個人」のアイデンティティーへと移った。

 リベラル派が好むスローガンも、従来の「連帯」「平等」から、「多様性」「差異」「解放」「エンパワーメント」へと変わっていったのだ。