戦略的効果は作文できる

 この矛盾を真に理解するために、VCファンドの仕組みを見てみよう。注目すべきことは、「GPとLPの役割」と「結果責任」だ。

 ゼネラルパートナー(GP)と呼ばれるファンドの運営者は、投資などの運営、投資収益追求、財務報告など全てに責任を負うと同時に、投資決定の権限も持つ。

 一方、ファンドへの出資者はリミテッドパートナー(LP)といわれ、リスクは出資金額の全損の可能性以上にはない。LPは、ファンドの運営を一切GPに任せる代わりに、一定以上のリスクは取らないのだ。だから、LPである官庁や企業が投資活動に「チェックを働かせる」と、それがGPとの境界線を侵す危険性がある。

 GPの権限を理解すれば、そもそもファンドの運営者の報酬に関してもLPが口を挟む余地がないことが理解できる。ファンドの運営は通常、「管理報酬」という運営費を一定額保証する。その予算をどう使うか、運営者の報酬を幾らにするかは、運営者であるGPが決めることであり、LPは関知しない。管理報酬はファンドの総額のパーセンテージで規定されるが、それはファンドのGPがファンド組成のときに提案する。LPがそのパーセンテージに同意できなければ、そのファンドには出資しないだけの話である。

 このように、大きな権限と自由を持つGPであるが、何がGPを律するのであろうか。大前提は「LPから受託した資金の運用を最大限の努力で遂行する責任」、すなわち「フィデューシャリー・デューティー」だが、極論すればこれは努力の問題だ。

 ではGPへの実効的な圧力は何かといえば、それは「結果責任」だ。ファンドのGPの目標は、ファンドを2号、3号と、次々と継続して立ち上げることである。ファンドの結果が不満足であった場合、次のファンドに参加するLPはほとんどいないし、VCコミュニティーはそのGPの失敗を記憶し、そのGPにとっては二度とファンド組成ができないほどの致命傷となる。だから、GPにとっては、ファンドの投資収益の成績がアキレスけんなのである。

 一方、官民ファンドの場合はGPに自由と権限を渡さない代わりに、関係者の納得性を担保しながら運営を進める。しかし、投資成績の結果に対して責任を取らない。GPも、GPに口を出すようなLPも、成績不調の責任を取って自らのキャリアをふいにしたという例を聞いたことがない。

 このように、官民ファンドではGP、LPのどちらにも結果責任がないので、「お行儀は全て完璧」だったが「投資結果は失敗」だったという状況が起こり得る。特に、戦略的な目的を持った政策投資の側面を併せ持つと、「戦略的には成果を挙げた」といえるので責任が曖昧になる。戦略的成果は、投資成果と違い主観的なものなので作文が書けてしまうのである。

 このように、官民ファンドは本質的な矛盾を内在している。ファンドという仕組みを使うのであれば、それは実績のある民間のやり方に従うべきだが、政策的な効果は限定的だ。一方、政策投資をしたいのであればファンドという隠れみのを使わずに堂々と直接出資をすればよいが、それでは機動性に欠けるばかりではなく、無責任な出資を繰り返す危険がある。