「日本のゴールキーパーが海外のチームでプレーすることがいかに難しいかは、自分の中でも身にしみて分かっている。だからこそ非常にやりがいのあるチャレンジだし、自分のパフォーマンスがよければ上へ行けるチャンスはたくさんある。いい形で成功して、日本人キーパーの今後につなげていきたい」

 残念ながら、チャレンジの系譜は川島で途切れたままになっている。正確に言えば、流通経済大学在学中の2009年9月にイングランドでプロになった林彰洋(現FC東京)は2012年1月に帰国。そして、2016年1月に権田がオーストリアへ渡るも、わずか1年で帰国を余儀なくされている。

オーストリアへ、初の海外挑戦の苦い思い出

実質的なオーナーを務める本田圭佑(現メルボルン・ビクトリーFC)から誘われる形で、FC東京からオーストリア3部リーグのSVホルンへ期限付き移籍。2部へ昇格したシーズンの真っ只中だった2016年の年末に契約満了を告げられたチャレンジの日々を、権田はやや自虐的な言葉で振り返る。

「オーストリアリーグからワールドカップに出ている選手は一人もいない。その中で僕は(ホルンの)次のチームがなかったレベルの選手ですから。変な話ですけど、その僕が日本代表に入っているくらいだったら、(川島)永嗣さんみたいに世界レベルのゴールキーパーと渡り合っていくのは難しい。だからこそ、もっともっとレベルアップしていかなければいけない。世界的に見れば、日本人のゴールキーパーがまだまだストロングポイントではない、という現状があるので」

 オーストリアへ渡る前後は文字通りのどん底にいた。川島、西川周作(浦和レッズ)とともに2014年のワールドカップ・ブラジル大会代表に選出され、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督の初陣だった2015年3月のチュニジア代表との国際親善試合では、先発フル出場で完封勝利に貢献した。

 しかし、その年の夏にオーバートレーニング症候群を発症。戦列復帰を果たせないまま2015シーズンを終えると、復活を期して加入したホルンでもデビュー2戦目で右脛骨を骨折。契約を残していたFC東京をあえて退団してヨーロッパでのプレーを希望するも、夢はかなわなかった。

 当面は無所属となることを覚悟の上で、傷心を抱えたまま帰国したのが2017年2月。電光石火のオファーを出しくれたサガン鳥栖のゴールマウスを守り続け、時間の経過とともに自信を蘇らせてきた軌跡は、約3年7ヵ月ぶりの国際Aマッチ出場へとつながっていく。