個の力を伸ばすために川口は2001年秋にイングランドへ、俊輔は2002年夏にイタリアへそれぞれ新天地を求めた。2人のベクトルは日本代表で再び交わり、ワールドカップ代表にも2006年のドイツ大会、2010年の南アフリカ大会でともに名前を連ねた。

 2人にとって最後のワールドカップとなっている南アフリカ大会は、特に俊輔の記憶に残っている。2大会連続で「10番」を背負いながら、大会直前になってレギュラーからリザーブへと降格していた俊輔の部屋を訪ねては、笑顔を浮かべながら「頑張ろうよ」とエールを送ったのが川口だった。

 大けがから復帰したばかりの当時の川口は、ピッチに立つ機会がまず訪れない第3ゴールキーパーとして、岡田武史監督にサプライズ招集されていた。チームキャプテンに指名され、結束力を高めるために舞台裏で奔走していた、献身的な姿に胸を打たれた。

 当時ジュビロの所属だった川口はJ2のFC岐阜、そしてJ3リーグそのものが創設されて間もないSC相模原でプレーを続行。まだプレーできるという感覚を、濃密な経験を次の世代へ還元していきたいという思いが上回った結果として、涙を流しながらユニフォームを脱いだ。

ベテランになっても居残り練習
「お金じゃなく、サッカーだけに向き合いたい」

 家族を都内に残し、単身赴任の形でプレーした時期もある川口と自分自身の軌跡を比べた時に、師匠のようにもがき、苦しんでいないことに気がついた。何よりも愛着深いマリノスを飛び出し、ジュビロへ新天地を求めた2017年1月に掲げた目標は、まだ成就されていない。

「お金じゃない。最後はサッカーだけに向き合い、燃え尽きたい」

 終盤戦で何とか復帰できた昨シーズンは、プロになって初めて無得点で終えた。正確無比なキックに導かれるアシストも激減したことでジュビロは得点力不足に陥り、バランスの悪さは堅守を誇った守備陣にも伝播。失点が激増した結果として、残留争いに巻き込まれた。

「セットプレーからゴールが生まれる確率は、キッカーが7割、中に入る選手が2割を占め、残る1割は相手の選手が関係してくる。そこで素晴らしいキッカーがウチにいることは大きいよね」