日本史の偉人たちを「すごい」と「やばい」の2つの視点から紹介する書籍、『東大教授がおしえる やばい日本史』が話題になっている。
当初は児童書として発刊された本書だが、なんと読者の半数は大人。意外と知らない日本史の真実がウケて、25万部突破のヒットとなった。
「豊臣秀吉」のここが“すごい”!
まずしい身分から大出世して天下を統一
正確な身分もわからないほどまずしい生まれの豊臣秀吉は、母親の再婚相手にいじめられ「絶対偉いサムライになってやる!」と13才で家を飛び出して、織田信長の家来となります。
何ももたずに生まれた秀吉は、人の心とチャンスを手に入れる努力をおしみませんでした。ある寒い日、秀吉はふところであたためたぞうりを、信長に差し出しました。信長は、この気づかいに感心し、たちまち秀吉を気に入ったそうです。
ほかの家臣たちから「ただの人たらし(ごますりがうまいヤツ)」と思われようと、秀吉は信長の役に立とうと必死でした。10日間で18個もの城を攻め落としたり、味方に裏切られて絶体絶命の信長を戦場から逃がしたりと、死にものぐるいで戦ったのです。目的はただひとつ。偉くなるためです!
そして信長が明智光秀に倒される「本能寺の変」が起きます。備中(岡山)にいた秀吉は、これまた10日間で200キロを走りぬけ、京都で光秀を討ちました。
信長のかたきを討ったことで、秀吉の発言力は急上昇。わずか2才の信長の孫、三法師のめんどうを見ることで織田家の実権を手にします。信長の死をも利用して、秀吉はのしあがったのです。
その後すべての戦国大名を家臣にした秀吉は、とうとう天皇の次に偉い関白の位を与えられ、信長にもできなかった天下統一を成しとげました。
「豊臣秀吉」のここが“やばい”!
本当のあだ名は「サル」じゃなくて「はげねずみ」
ドラマや小説などでは、秀吉は信長によく「サル」というあだ名で呼ばれています。実際、秀吉に会った朝鮮の使者は「サルにそっくり」と書いていますし、肖像画もサル似。
でも、じつは信長は「はげねずみ」というさらにひどいあだ名で秀吉を呼んでいました。それは信長が秀吉の妻・ねねに送った手紙に書いてあります。秀吉とねねは、当時としてはめずらしく親の反対を押し切って恋愛結婚したラブラブカップル。しかし出世した秀吉は浮気するようになり、悩んだねねが信長に相談したのです。信長は完全にねねの味方になって、やさしい言葉満載の手紙で返事をします。
あのはげねずみが、あなたほどすばらしい女性をほかで見つけられるはずないのだから、妻らしく堂々として、嫉妬などしないように。この手紙は秀吉にも見せてやりなさい。
信長より
尊敬する信長からの手紙を見せられた秀吉は「ヒッ!」と真っ青になったことでしょう。ところが、それでも秀吉の浮気はおさまりません。信長が死に、秀吉が天下を取ると、なんと信長のめいの茶々を側室にします。
茶々がうんだ秀頼は、唯一のあととり息子だったため、秀吉はもうメロメロ。おさえきれない愛情と豊臣家の将来への不安で大暴走してしまい、秀頼のじゃまになりそうなおいを家族ごと皆殺しにしたり、日本だけでなく朝鮮も征服しようと大名たちを出兵させたりと無茶苦茶をやって、家臣に不信感を与えたまま、病気で死んでしまいました。
時代:安土・桃山時代
身分:太政大臣
出身地:愛知
別名:サル、はげねずみ
農民なのか足軽なのか、正確な身分もわからないほどまずしい出身から、織田信長の家来となって天下統一した戦国武将。
(本原稿は、東京大学史料編纂所教授 本郷和人監修『東大教授がおしえる やばい日本史』の内容を編集して掲載しています)