新浪剛史氏は「現場」の人である。世界のどこであろうと、現場におもむき、そこで働く仲間たちの一挙手一投足に目を配り、彼らの声に耳を傾け、語り合う──。これはローソン時代から変わらない。

 1970年代、ヒューレット・パッカードで行われていた「歩き回る経営」(MBWA)が注目されると、日本企業の三現主義(現場・現物・現実)にもスポットが当たり、“gemba”という英語も派生した。しかし、現場訪問や社員との対話といった経営行動は、企業規模の拡大や株主重視の経営によって一種の儀式となり、次第に形骸化していった。

 ところが、ロンドン大学、オックスフォード大学、ハーバード大学、コロンビア大学による共同調査では、CEOをリーダー型とマネジャー型に大別したうえで、前者は自分の時間を従業員たちとのコミュニケーションなどに費やす傾向が顕著に見られ、こうした現場重視のリーダーシップと企業業績の間には正の相関があるという(注1)

 2014年、サントリーホールディングス(以下サントリー)は、当時社長であった佐治信忠氏(現会長)の「真のグローバル企業に」という夢に向けて、160億ドル(約1兆6000億円)の巨費を投じて、「ジムビーム」など世界的ブランドを持つアメリカの大手スピリッツメーカー、ビーム(現ビームサントリー)を買収し、グローバル市場の一角を占める存在へと飛躍を遂げた。

 そして新浪氏は、この小が大を呑む買収のPMI(買収後の経営統合)、さらには新たな成長軌道を描くという大仕事を任されたが、創業家以外で初めての社長であり、しかも外から来た“転校生”でもあった。

 ハーバード・ビジネス・スクール名誉教授で、リーダーシップ研究の世界的グールーのジョン・コッターとジョン・ガバロによれば、生え抜きではない新CEOには、たとえば、新たな信頼関係の構築、早期の成功(アーリーサクセス)への焦り、お手並み拝見といった周囲の傍観的な態度など、さまざまな試練が待ち受けているという。新浪氏はこうした辛苦を跳ね返してきたプロ経営者の一人だが、200年以上の歴史を誇るグローバル企業を傘下に収めることは一筋縄ではいかなかった。

 本インタビューでは、2018年10月で丸4年を迎えた新浪氏に、アメリカ・ビームとの統合でも発揮された現場重視のリーダーシップ、価値観に基づく経営統合と人づくり、そして自身の経営哲学について聞く。

注1)Oriana Bandiera, Stephen Hansen, Andrea Prat, and Raffaella Sadun, “CEO Behavior and Firm Performance,” September 20, 2017, Harvard Business School Working Paper 17-083.を参考。

編集部(以下青文字):サントリーがビームを買収した2014年、新浪さんはその年にローソンからサントリーに転じ、当時の社長で現会長の佐治信忠さんからトップを引き継ぐととともに、経営統合の最前線に立ち続けてきました。2018年春には「(統合は)6合目まで来た」と発言していましたが、その道程について教えてください。

サントリーホールディングス 代表取締役社長
新浪 剛史 
TAKESHI NIINAMI
サントリーホールディングス代表取締役社長。三菱商事入社。ハーバード・ビジネス・スクールにて経営学修士(MBA)を取得。ソデックスコーポレーション(現LEOC)代表取締役、ローソン取締役社長ならびに会長等を経て、2014年より現職。経済財政諮問会議議員、税制調査会特別委員、世界経済フォーラムのインターナショナル・ビジネス・カウンシル・メンバー、アメリカ外交問題評議会メンバーなどを兼ねる。

新浪(以下略):統合作業自体は完了したものの、まだまだ課題もあるので、いまは8合目くらいでしょうか(笑)。いずれにしても、何より苦労したのが、価値観や企業文化の違いを埋めることでした。まずアメリカ企業と日本企業の違いがあり、そしてビームとサントリーの違いがあるわけです。

 前者については、日本企業は物事の決め方が非常に曖昧です。経営陣が決断したことも現場の理解が得られなければうまくいかず、逆に得られると一気に進みやすい。一方のアメリカ企業は、概してトップダウンです。強力な権限を持ったトップが決定を下し、これがドンと下に落とされ、現場はそれに従う。

 こうした基本的な経営スタイルの違いに加えて、ビームとサントリーという会社そのものの違いが絡まってきます。

 ビームは上場していましたから、よくも悪しくも短期志向でした。しかも、本社のあるシカゴと蒸溜所のあるケンタッキーとでは、これが同じ会社かと思うくらい、価値観に違いがありました。シカゴ本社にはMBAホルダーがたくさんいて、合理的に考える人たちの集合体でした。かたやケンタッキーは、ウイスキーづくりにこだわる職人たちの集まりでした。

 サントリーは、どっしりと腰を据えた長期志向の会社です。「飲用時品質」という独自の考え方を掲げているように、時間をかけて開発した製品を、お客様が最後に飲み干して「おいしい」と感じていただけるよう、徹底的にこだわっています。

 アメリカの場合、禁酒法の名残から、メーカーの仕事は卸店に販売した時点で終わり、飲食店とは直接取引ができません。ですから、売ったら終わり、その先は卸店の仕事、というわけです。我々からすれば、考えられないことです。