戦後まもなく生産を再開した、マツダのオート三輪車。マツダミュージアムにて Photo by Kenji Momota

 戦後の復興期、マツダは少しでも早く人々の役に立とうと、オート三輪の生産を再開した。物資の流通状況が悪かったため、マツダ社員は九州や広島の周辺都市からタイヤなど大型の部品を手で担いで電車に乗って広島まで運んだという。

 その後、高度成長の波に乗り、マツダは事業を拡大していく。技術面ではロータリーエンジン開発で特化し、ルマン24時間レース総合優勝という快挙を成し遂げた。

 だが、時代変化の波に乗り遅れた90年代は自社による経営再建を諦め、米フォード傘下に入った。この時代、多くの仲間が会社を去った。

 そしてフォードとの関係を清算して再出発した2010年代、マツダは新たなる挑戦に打って出た。SKYACTIV、魂動デザイン、そして生産現場でのモノづくり革新という三本柱で、新生マツダを目指したのだ。

 筆者はこれまで、様々な機会で広島を訪れ、マツダ関係者と親交を深めてきた。

 そうした中、今回の訪問では、マツダという企業と広島を中心とした社会との強い絆について、再認識することになった。

マツダだから言えること
「走る歓び」から「生きる歓び」へ

 本連載の前回『広島の山中を走り回る「謎のマツダCX-5」の正体』でお伝えしたように、マツダは広島県三次市でCX-5を使った「支え合い交通サービス実証実験」を始めた。

 なぜ、このタイミングでこうしたサービスを始めたのか。その基盤にあるのが、2017年8月に発表した「サスティナブル“Zoom-Zoom”」だ。