ゴーン氏は、ある時期から日本国内での新車発表には顔を出さず、志賀COOに任せるようになった。その後も日本に来て日産の経営を直接的にみる機会は、「月に2~3日に減っていた」と言われていた。

 16年に燃費不正で窮地に陥った三菱自動車を日産の傘下に収めてからは、三菱自会長も兼務しながら仕事のメインは3社連合の統括会社の「ルノー・日産BV」の会長であり、3社連合の戦略を仕切ることとなった。

 つまり、日産の直接の経営よりも3社連合による世界覇権への野望の実現に専心するようになっていったのである。

 結果、日産の業績が落ちればゴーンチルドレンでも責任を取らされるようになり、ゴーン後継が育たなくなっていった。ちなみに西川氏以外のチルドレンの1人、トレバー・マン氏はその後、日産の傘下に収めた三菱自動車COOで再建請負人として送り込まれ、アンディ・パーマー氏は日産からアストン・マーティンに転じてCEOに就任している。

 日産でゴーン後継候補として挙げられていた1人、日産中国戦略を躍進させた中村公泰副社長は、昨年6月の株主総会で取締役を退任している。また、ルノーではゴーン後継と目されていたカルロス・タバレスCOOが、2014年に仏でのライバル企業であるグループPSAのCEOに転出している。

 ことほどさように、ゴーン後継は育たないのか、育てても切り捨てるのか、結果としてゴーン氏が居座る流れになってきたのだ。

 いずれにしても、ゴーン日産長期体制の“ゆがみ”が増長される中で、ゴーン氏本人の会社の私物化が横行していったのは事実であろう。

ポストゴーンの経営陣は
「トヨタから呼べ」という声も

 ゴーンチルドレンとして引き立てられてきた西川社長もよほどの覚悟で立ち上がったと判断できる。