「考えたことがないですね。僕がいなくても、日本には頑張っている選手が大勢いる。みんなが頑張る日本はちょっと窮屈に感じるというか、海外の身長が2メートル近い大男たちと喧嘩をしたい、という点に刺激を求める日本人も何人かいないといけない」

 今も変わらぬ矜恃を抱き続ける。イニエスタに続いてダビド・ビジャ、セルジ・サンペールとバルセロナ経験者を獲得している、ヴィッセルの三木谷浩史オーナーへ「Jリーグにとってすごくありがたい動きをしてくれている」と感謝しながらも、先駆者として檄を飛ばすことを忘れなかった。

「(Jリーグの成長が)もう少し進んだとしても、ドイツのブンデスリーガのように自国の選手が海外へ移籍しなくても、十分にワールドカップを目指していけるリーグになるには、日本はまだまだ時間がかかる。どう考えても海外に打って出て、いろいろな経験を積んだ方が伸びる。日本の若手選手たちへ『海外へ行け、Jリーグに居座るのは早い』と僕が言い続けているのはそういう意味です」

指導者、ビジネスマンの顔を持ちつつ
アスリートとして「東京五輪」を目指す

 3度目のワールドカップとなった昨夏のロシア大会をもって、2022年のカタール大会は目指さないと公言した。同時に、スクールを展開しているカンボジアで、代表チームのGM兼代表監督に就任。各国の代表が活動する国際Aマッチウイークになると、指導者との二足の草鞋を履く挑戦を続けている。

 しかし、アスリートの挑戦に終止符を打ったわけではない。34歳で巡ってくる、56年ぶりの自国開催となる2020年の東京オリンピック出場へ、闘志をかき立てられないはずがない。メルボルンへの移籍が決まる直前の昨年8月には、こんな目標を唐突にぶち上げている。

「タイミングよく東京五輪が来てくれることに、個人的には運命を感じているというか、目指さないといけないと勝手に思っている。あと2年、ガッツリと自分を鍛え上げようと思う」

 ゲームキャプテンとしてエディオンスタジアム広島に凱旋し、後半26分に一時は同点に追いつく鮮やかなゴールを決めた12日は、東京オリンピックの開会式までちょうど500日という節目でもあった。試合は敗れたものの、東京オリンピックへ出場する夢は萎えていないとあらためて宣言している。