書物の歴史は
ディープラーニングそのもの

中世のヨーロッパ庶民は読み書きができなかったが、聖職者はラテン語で書かれた聖書を読み解くために読み書きができた。
それゆえに教会は、聖書の教えを広める神学のみならず、哲学、文学、音楽、医学、天文学といった学問の中心地になり得た。

かつての教会は、いまでいうAIのような存在だったのだ。

万巻の書と知を教会が独占していた時代は遠い過去になり、幸いにもいまは、誰もが書物を自由に読みこなせる時代となった。
その好機を見過ごすのはもったいない。

書物には、私たちがイチから調べるとしたら、一生かけても到達できない知識と知恵が凝縮されている。
前の世代が巨人の肩に乗って書いたものを読み、その肩に乗って次世代に書籍を書き残す。

古代ギリシャ・ローマの時代から、人類が永々と繰り返してきた書物の歴史は、ディープラーニングそのものである。

人類の歴史をあらためて紐解いてみると、書物と読書によるディープラーニングこそが、文化と文明を進化させる原動力になっているとわかる。