トップダウンの改革を
元号で暗示しているのか?

 もちろん、「お前が言っていることなど政府はすべて想定内だ。おかしなイチャモンなど大したことがないと判断したんだろ」という意見も多いだろう。筆者もそう信じたい。

 だが、もしそうだとすると、なおさら「令和」という言葉により深い意味を見いださざるを得ない。

 リスクを織り込み済みであえてこの元号にしたのだったら、「令和」にしなければいけない「国の事情」があったということだ。そう考えると、新元号発表後の安倍首相のスピーチの中に気になるくだりがあった。

「急速な少子高齢化が進み、世界がものすごいスピードで変化をしていく中で、変わるべきは変わっていかなければなりません。(中略)かつては何年もかけてやっと実現するレベルの改革が、近年は国民的な理解の下、着実に行われるようになってきたという印象を持っています。そうした中で、次の世代、次代を担う若者たちが、それぞれの夢や希望に向かって頑張っていける社会、一億総活躍社会をつくり上げることができれば、日本の未来は明るいと、そう確信しています」(首相官邸ホームページより)

 ご存じのように、安倍政権になってから、日本は何年もかけてやっていた改革が進んでいる。モリカケで騒ぎになった岩盤規制に穴が開き、十数年塩漬けだったカジノも解禁され、選挙的にはタブーとされた禁煙規制も進められ、企業に配慮してきた労働基準法の大改革も進められた。

 要するに、国がトップダウンで「命令」をして変化を促す局面が増えてきているのだ。

 安倍政権の批判をしているわけではない。これから産業界が必死に抵抗をしていくであろう最低賃金の引き上げを始め、これまでの政治家が「票田」に配慮をして何十年も先送りにしてきた問題に、新しい日本の舵取りをする人々は容赦なくズバズバと手を突っ込んでいかなければいけなくなる。

 そういうことをすれば、独裁者のそしりを受けるし、弱者を守れという抵抗にも遭う。しかし、やらなければいけない。その決意から、どうしても「令」の文字にこだわった、というのなら納得である。

 いずれにせよ、「令和」に込めたという「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」というのは、どうにも強引というか、後付け感があるのは否めない。

「これからの日本は凄まじい変化があるけど、それを乗り越えないことには明るい未来はありませんよ。それを皆さん覚悟して、甘っちょろいことは言わないでね」という思いを「令和」という文字に込めた、と言ってくれた方が、よほどストンと腹に落ちる。

「令和」が、これまで通りにやっていれば、日本人は皆ハッピーという穏やかな時代ではないことだけは確かなのではないか。