滞在中はそれこそ、カルチャーショックの連続だった。中でも衝撃を受けたのは、招かれた家庭で見た清潔感あふれるトイレだ。芳香剤が置かれ、水洗で、香りの良いブルーの水が流れている。バスタブやシャワールームも同じ部屋にあり、便器は「この中で洗濯しても大丈夫なのではないか」と思うほど、ピカピカだった。

 その頃の日本のトイレは、ほとんどがくみ取り式。「御不浄」と呼ばれ、不浄な場所とされていた。ところが、アメリカでは生活空間の一部として、快適な場所になっているではないか。

「アメリカには将来のメーカーとしての小林製薬の“原点”がある」と確信した私は、「なんとしてもアメリカで勉強しなくてはならない」と決意した。

 だが帰国後、「アメリカに留学したい」と会社に頼み込んだが、なかなか許可は下りなかった。というのも、誰もアメリカに行ったことがないから、いくら説明しても理解できないのだ。

「何しに行くんや」と。

 お金もかかるし、危険もある。行ったって「どうせ遊んでくるんだろう」と。社長の息子の道楽ぐらいにしか受け取ってもらえない。最後は結局、社長である母から役員連中を説得してもらい、翌65年、コロンビア大学への留学がかなった。

 留学生活では、学業はそこそこに。現地の化粧品メーカーの販売担当者たちと共に、各地のスーパーやドラッグストアなどを回り、どんな商品が売れていて、どんな売り方をしているのかを研究し尽くした。メーカーとしての小林の最初のヒット商品となった「アンメルツ」「ブルーレット」「サワデー」のヒントとなった商品にも出合い、研究のために持ち帰った。

 20代での、あのアメリカでの体験があったから、今の小林製薬があると言っても過言ではない。

(小林製薬代表取締役会長 小林一雅)

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