裁判員裁判で初の死刑判決

 宮城県石巻市で10年2月10日、千葉祐太郎死刑囚(事件当時18)が元交際相手の少女宅に押し入り、少女の姉と少女の友人を牛刀で複数回刺して殺害。さらにその場にいた少女を拉致して逃走した。

 千葉死刑囚と少女の間には子どももいたが、事件前の4~5日には鉄の棒で殴ったり火のついたタバコを押し付けたりして全治1ヵ月の重傷を負わせるなど、度重なるDVがあった。

 少女の姉は千葉死刑囚にDVをやめるよう注意し、周りに相談していたことなどから、千葉死刑囚は「交際を反対している姉が邪魔だ。殺す」などと周囲に話していた。少女の友人は中学時代からの友人でDVの相談も受けていた。警察は少女から相談を受け、千葉死刑囚に警告を出していた。

 仙台地裁の判決は計画性や残虐性、身勝手さを指摘し「(犯行時に未成年であったことが)死刑を回避する決定的な事情とはいえない」として死刑を言い渡し、2審高裁、最高裁も追認。裁判員裁判で言い渡された死刑判決が初めて確定した。

 死刑が確定した残虐な事件以外にも「平成の少年事件」といえば、象徴的なのは神戸連続児童殺傷事件だろう。

「さあ、ゲームの始まりです」で始まり、「SHOOLL KILL 学校殺死の酒鬼薔薇聖斗」を名乗った犯行声明文。「愚鈍な警察諸君」(いずれも原文ママ)に逮捕されたのは、当時14歳の中学生だった。

 97年5月27日、神戸市須磨区の中学校正門に男児の頭部が置かれているのが見つかった。耳まで切り裂かれた男児の口には前述の声明文が挟まれており、その後、地元の神戸新聞社にも声明文が郵送された。

 警察の捜査で2人を殺害、3人を負傷させたとして立件され、神戸家裁は医療少年院送致が相当と判断。退院後、手記『絶歌 神戸連続児童殺傷事件』を出版、一時は有料のメールマガジンを配信していた。