金融機関を破綻へ導いた
3つの事由とは

 なぜ平成前半の時代に、大手銀行までもが相次いで破綻するほど深刻な金融危機が起きてしまったのか。金融危機はマクロ的なものであるが、出発点にあるのはミクロの金融破綻である。それでは、大手銀行を中心とする破綻事由と問題を以下で具体的に見ていく。

 第1に経営者の問題、端的には「ワンマン経営」(同族経営も同様の問題)である。破綻した金融機関には、経営トップが長期にわたって務める、あるいは息のかかった後継者を中心に経営を固めるといった共通点がある。ワンマン経営で問題なのは、行内のコミュニケ―ション不足が進み、情報が均霑しなくなるということである。部下は意見具申を躊躇して指示待ち姿勢になり、経営トップは重要な意思決定を先送りした。こうした中で不良債権は著増した。

 拓銀は、もともと大蔵省OBが頭取を務めていた、しかし1977年五味彰氏が生え抜き2人目の頭取になったことを皮切りに、1983年鈴木茂氏、1989年には山内宏氏といったプロパーの頭取が就任。長銀の杉浦敏介氏(日本勧業銀行、現みずほ銀行入行)は、1971年から1989年にかけて頭取、会長を務めた。日債銀は、1969年勝田龍夫氏(日本興業銀行、現みずほ銀行を経て入行)、1982年頴川史郎氏が頭取に就任。足利銀行の向江久夫氏(プロパー)は1978年から1997年にかけて頭取、会長を務めた。いずれもワンマン経営で知られた人物だ。

 第2に、収益拡大のための「ボリューム指向」である。経営者のワンマンな手法も手伝って、ボリューム拡大の大号令をかけ、ノンバンク経由を含め、不動産向け融資拡大に傾注した。収益を増やすということは、リスクをとることであるが、右肩上がりの土地神話の下で不動産融資はリスクが低いものと考え、ボリュームを追求した。この結果が、不良債権の山である。

 拓銀はもともと不動産向け融資に積極的とはいえない銀行であったが、業容は他の都銀に水をあけられる一方、地銀上位行の追い上げを受けていた。そこで1990年に策定した「たくぎん21世紀ビジョン」に沿って、悪名高きインキュベーター(企業成長・不動産開発支援)を積極的に推進した。

 長銀、日債銀は、高度成長期に長期の設備資金等を供給するため、長期信用銀行法に基づき設立された。しかし、低成長期に入り、設備資金需要が後退、また証券市場の発達もあり、制度の歴史的使命は終わっていた。そこで両行は系列ノンバンクをも活用しつつ、不動産融資を拡大した。

 足利銀行は元々堅実な銀行であったが、バブル期に系列ノンバンクも活用し、不動産融資を拡大した。