第3に「流動性の急速な枯渇」である。破綻した金融機関はバブル期に融資を大幅に拡大したが、ファンディングは金利が高く、大口の市場性預金等に依存する先も少なくなかった。このため、市場等で経営に関する悪評が立つと、資金繰りが急速に悪化した。外貨調達も厳しく、外貨資産を処分売りするしかなかった。流動性管理は、普段から経営トップが留意すべきテーマである。

 拓銀は、1997年9月に北海道銀行との合併破談後、預金が道外を中心に流出した。11月4日に三洋証券がコール市場でデフォルトを起こすと、同行はコールの取り入れが困難化し、同14日準備預金の積み最終日に所要額を積めずに破綻した。

 長銀は1998年10月住友信託銀行との合併話が破綻した後、資金繰りが悪化した。加えて、長銀処理の対応が、国会の場で堂々議論が行われたため、長銀の資金流出が加速し、同行の一時国有化に関する法案(金融再生法)が成立した11日後、ついに長銀は破綻した。そして2ヵ月後、日債銀も破綻、長銀と同じく一時国有化された。

 足利銀行は1997年秋、取り付けにあっているが、一時国有化の際は、取り付けは発生しなかった。なお、同行は公認会計士から繰延税金資産の過大計上を指摘され、資本不足となって破綻した。

「地価は右肩上がり」という
土地神話こそ、金融危機の根本原因

 では一方で、マクロ的に捉えた、金融機関を破綻へと導いた金融危機発生の根本原因は何だったのだろうか。

 当時、金融当局は、日本では地価が右肩上がりという土地神話があり、もし地価が下落したとしても一時的で、いずれ戻ると考えていた。地価が戻れば、銀行収益も持ち直すので、銀行への公的資金投入は不要であると結論づけた。

 だからこそ金融機関側も、地価はいずれ戻ると考え、不良債権処理を先送りしようとした。また、公的資金投入となると当局の経営への介入が強まるのではないかとして二の足を踏んだのだ。

 こうした地価に対する情勢判断や将来への見通しの甘さと、それによる公的資金の投入の遅れが、金融危機を発生させた根本原因である。