「Lean in」とは、「一歩踏み出すこと、挑戦すること」。Facebook COOのシェリル・サンドバーグは、夫を亡くした悲しみや苦しみから立ち上がっていくときに、「レジリエンスという力が大事だ」と気づかされたと言います。彼女が率いるグローバルな市民活動のRegional Leader(地域代表)として活動している一般社団法人Lean In Tokyoが開催したイベントのメインテーマは、「逆境を乗り越えて、一歩踏み出す」。登壇した鈴木美穂さん(認定NPO法人マギーズ東京・共同代表理事)と村木厚子さん(元厚生労働事務次官)の対話は、それぞれ逆境の渦中にあった時のリアルな心境へと話が深まりました。(この連載は、3月24日に東京・有楽町のEY Japan株式会社オフィスで行われた対談イベントのダイジェスト版です。質問者はLean in Tokyo運営事務局の吉川縁さん。構成:古川雅子)
闘病中の経験から「人生一度しかない」
仕事で足りないところは課外活動で補完
1955年高知県生まれ。高知大学卒業後、78年、労働省(現・厚生労働省)入省後、雇用均等・児童家庭局長、社会・援護局長などを歴任。2009年、郵便不正事件で逮捕、10年、無罪が確定し、復職。13年から15年にかけて厚生労働事務次官を務めたのち、退官。現在は、伊藤忠商事社外取締役等を務めつつ、困難を抱える若い女性を支える「若草プロジェクト」で少女・若い女性の支援も行う。著書に『私は負けない「郵便不正事件」はこうして作られた』(中央公論新社)、『日本型組織の病を考える』(角川新書)などがある
――村木さんは、長い間、厚生労働省にお勤めになられつつ、二人の娘さんがいらっしゃって、子育てもされていた。当時は制度が整っていなかった時代かと思われます。鈴木さんも、日本テレビの報道のお仕事に携わりつつ、35歳以下でがんに罹患した人のための患者会「STAND UP!!」や、闘病中でも安心して参加できるヨガなどのワークショップを運営する「Cue!」などの活動を続けてこられました。今は、「マギーズ東京」(がん患者や家族が無料で訪れて相談が出来るセンター)の運営にも携わっていますね。本業がある中で、「課外活動」を続けていくモチベーションは?
村木 仕事も育児も両方やるっていうのは難しいんだけど、実際にやってみると、育児があったほうが仕事が楽、また逆もしかりという面もありました。仕事だけに追い詰められないとか、仕事があったほうが育児だけに行き詰まらないとか。両方があるから、頭を切り換えて、追い詰められずにやれたかなぁと思いますね。ただ、それは私の感想なんだけど、娘たちに言わせると、「私たちのおかげで今があるんでしょ」っていうことなんで(笑)。子どもたちに助けられたところがすごくあるのかもしれませんね。
鈴木 私は24歳でがんになったときに、当時、家族の中で誰一人がんになった経験がある人がいなくて、がんのことを何も知らなかったこともあり、「あぁ、もう人生終わりだ」って思って。もし元気になることができたら、この経験を活かして、後に続く人たちのためになるような人生を送るから、どうか生かしてください!」って、すごく思った。病床で神様に祈っていた時期があって。なので、復活できた後は、報道だけでは足りないと思うこともたくさんあって、「人生、やっぱり一度しかないし、目指したい社会に向けて、報道だけで足りないところは、踏み出して活動していかなきゃ」っていうのはすごくあったんですよね。
あとは、当時、私は、もう結婚も出産もできないかなと思い込んでいて。右胸の摘出手術をしているし、がんになっていつどうなるかも分かんないし。最初は、「2年後があるかないかわからない」みたいなことを言われたりもしたので、大切な人を巻き込んだりもできないという思いもあったりして。その中で、「人生いつ終わるかわからない。だけどそのときに、自分が幸せだったと思えるためにはどうしたらいい?」と自分に問い直し、女性としての幸せ以外でも、社会的に何かを残すとか、「いてくれてよかったね」とか、人に「ありがとう」とかって言ってもらえる何かを残したいという思いも、実はすごく強くあったのかなと。
――これまで、「大変だな、しんどいな」と思うときもありましたか?
村木 はい。やっぱり時間制約はすごくあるので、時間のやりくりをどうやるかっていうのは、すごく大変。だけど、まぁ、私もうまくできていないけど、複数のことを同時に続けることが、どこかで相乗効果が出るようになる、出るようにしたいって思っていて。相乗効果が出ると、相当大きなパワーが出るだろうと信じてやっているっていう感じですね。