「死にたい」と思うほどの絶望でも
「誰かに生かす経験」と思えた

――お二人は逆境にある時、周りの「支え」や「味方」の存在は大きかったですか?

村木 すごく大きかったですね。拘置所では弁護士さんにしか会えないので、ドラマの中のように、透明のアクリル板越しに弁護士さんと対面していました。弁護士さんが来た時に、アクリル板に白い紙を押し付けて見せてくれたんですね。真ん中には、「真実を貫け」って書いてあって。その下に、自分の知っている職場の友達とか、いろんな人の名前がダーって書いてあって。私は、「あ、こんなに信じてくれる人がいるんだ」と思えて心強かったです。
 あとはやっぱり、プロの支えがそういうときは要る。弁護士さんはゴーンさんと同じ弘中惇一郎弁護士だったんですけど(笑)、女性の皆さんのために言うとですね、六人の弁護人のうちの二人が女性で、またこの人たちがものすごく優秀な人でして。だから、プロの支えと、それから家族とか友達の支えが大きかったです。

 もう一方で、「誰かのために」と思えたことも大きかった。私が、「自分はもう絶対に大丈夫」と思ったのは、「娘たちのために、ここでお母さんが負けてはいけない」って気が付いた瞬間だったんです。将来、娘がなんか困ったことがあったときに、「あのとき、お母さんもダメだったよな」って思うと、娘たちが頑張り切れないかもしれないと思って。だから、「絶対負けちゃいけない」と思った瞬間に、「あ、もう私、大丈夫」と思えたんですよね。

鈴木 私も家族の存在は大きかったです。私、抗がん剤治療を受けている期間は会社も休んで、もう復帰できるかどうか分からないと、どん底まで落ち込んでいた時期が長かった。それで、私の母親と妹が仕事を辞めて、24時間体制で私の隣にいてくれたんです。妹はまだ、入社1年目だったし、母親は銀行員だったんですけど。父親も単身赴任先から帰ってきて、日本での勤務を会社に要望してまで、私のことを応援してくれたんですね。家族を巻き込んで、申し訳ない気持ちはありました。でも、何度も心が折れそうになって、生きていくのも辛いっていう思いの中で、飛び降りようとして家族に止められたこともあったぐらいで。そういう緊張状態の中で、家族が常に隣にいてくれた。「美穂は大丈夫」「神様は乗り越えられない試練は与えない」と言い続けて、信じてくれた家族っていうのはやっぱりすごく大きな支えでした。

 友達も、本当に毎日のようにお見舞いに来てくれて。そのうちに、「この世にいる人にもっと会いたいから、この世に生きていたい」という思いが募っていきましたし、ちょっと気持ちを持ち直してからは、「自分みたいにこんな辛い思いをしてる人も、看病している人も、世の中にはいろいろいるはずだから、やっぱり、自分がこの試練を味わっているのは、誰かに生かす経験を積むためだったのかもしれない」と思うようになって。それからは、復活は早かったかなと思いますね。