「Lean in」とは、「一歩踏み出すこと、挑戦すること」。Facebook COOのシェリル・サンドバーグは、夫を亡くした悲しみや苦しみから立ち上がっていくときに、「レジリエンスという力が大事だ」と気づかされたと言います。彼女が推奨している「女性が野心を持って、挑戦することができる社会」を実現するために活動している一般社団法人Lean In Tokyoの主催で開催されたイベントのメインテーマは、「逆境を乗り越えて、一歩踏み出す」。登壇した鈴木美穂さん(認定NPO法人マギーズ東京・共同代表理事)と村木厚子さん(元厚生労働事務次官)が、それぞれの「逆境」を振り返り、熱いトークを繰り広げました。(この連載は、3月24日に東京・有楽町のEY Japan株式会社オフィスで行われた対談イベントのダイジェスト版です。質問者はLean in Tokyo運営事務局の吉川縁さん。構成:古川雅子)
 

拘置所で自分に投げかけた、
「2つの問い」で自分を取り戻した

――まずお二人には、これまでに「逆境」に直面したときの率直な気持ちを聞かせていただければ。まずは鈴木さん。24歳のときに乳がんを経験されたそうですね?

鈴木 今までで最大の逆境でしたね。24歳の時にステージ3の乳がんになって、病院でレントゲン画像を見たときに、もう胸の中いっぱいに腫瘍があるのが素人目にもわかって。「未来が閉ざされた」と思いました。それで、いろんな先生にセカンドオピニオンを聞きに行ったんですが、中には「二年が勝負ですね」とおっしゃったお医者さんもいたぐらいで。私はまだ20代で、テレビ局でバリバリ働いていた頃です。健康が取り柄で、「3日間徹夜しても大丈夫」みたいなことを自慢しているぐらいだったのに、入社3年後に、「もう2年あるか分からない命」と言われるなんて、想像もつかなかった。明日が来るのは当たり前で、当たり前のように長生きすると思っていましたから。

――告知をされた後、しばらくはそんな気持ちでいっぱいでしたか?

鈴木 もう社会に復帰できないと思ったし、がんになった自分を受け入れられなさすぎて、8ヵ月間会社を休職したうちの半分くらいの期間は、うつ状態で落ち込んでいました。もう家を一歩も出られないくらいっていう時期もありました。

――村木さんは2009年に通称で言う「郵便不正事件」、大阪地検特捜部による冤罪の事件に巻き込まれて、半年間の拘置所生活を経験されました。どんなお気持ちだったか教えていただけますか?

村木厚子 (むらき・あつこ)
1955年高知県生まれ。高知大学卒業後、78年、労働省(現・厚生労働省)入省後、雇用均等・児童家庭局長、社会・援護局長などを歴任。2009年、郵便不正事件で逮捕、10年、無罪が確定し、復職。13年から15年にかけて厚生労働事務次官を務めたのち、退官。現在は、伊藤忠商事社外取締役等を務めつつ、困難を抱える若い女性を支える「若草プロジェクト」で少女・若い女性の支援も行う。著書に『私は負けない「郵便不正事件」はこうして作られた』(中央公論新社)、『日本型組織の病を考える』(角川新書)などがある

村木 突然何が起きたのか、という意味では、ゴーンさんの気持ちが私もよく分かります(笑)。朝だったんですが、偽の証明書を発行したっていう容疑で特捜部に呼び出されて、夕方には、「逮捕します」って。そのまま車に乗せられて拘置所に連れて行かれて。そこから164日間出られなかったので、まぁ、なかなかショックですよね。 拘置所の個室に入れられて、2つだけ自分で自分に問いを投げかけたんですね。

 一つは、「私は変わったのか?」。もう一つは、「私は失ったのか?」。

 一つ目の問いに対しては、「私は何も変わっていないし、何もやってない」と。「検察が、マスコミが間違えていて、世の中には私がやったと思っている人がいるだけで、私自身は何も変わってないよね」というのを確認したんですね。

 二つ目の問いに対しては、まぁ、たくさん報道をされていて、しかもどこから探してきたの?というような、人相の悪い写真だけが載っていたりしてね(笑)。しぐさなんかも、ちょっと逃げてるように見えるシーンだけ切り取られてテレビで流れされるとか。世間の人の印象はものすごく悪かったと思います。一方で、友達とか、職場の人とか、家族ももちろんですけど、身近な人たちからは「真実を貫け。頑張れ」みたいなメッセージが届いて。だからまぁ、「失ったものはあるかもしれないけど、こんなに持ってるものがあるじゃないか」という風に自分では思えたんですね。周りが歪んだだけで、自分は変わっていないんだと。

鈴木 「自分への問いかけ」ですか。それって、すぐに出来ました?

村木 拘置所に入れられてから、3〜4日目くらいの時だったと思います。

鈴木 なんと冷静な!