弱みも含め「自分事」から課題を話すと
ビジョンを共有できる仲間が増えた

――立ち直るまでに、どのぐらいの時間が必要でしたか?

鈴木 表でがんのことも堂々と話すようになるまでには、5〜6年かかりました。別に、隠そうと思ったわけじゃないんですよ。それでも、社会に出て、小さなことで躓くことがいろいろあって、言えば言うほど凹むということはありました。たとえば、女性の先輩や同僚、同級生などが20代のうちから家のローンを組んで、せっせと将来に備えていたりするんですが、私も、何かあったら親に残してあげたいなと思って、ローンを組もうと思ったら、「がんになって5年はローン組めません」って。医療保険に入ってなかったから、入っておきたいと思っても、がんになった人は、保険もなかなか入れない現実がわかって。エステに行っても、問診票を書く時に、私は手術跡があるので、正直にがんの罹患歴を書いたら、「うちのエステは、がんに一度なった人は受けられません」と。そういう小さな積み重ねによって、「あ、私はがんになったことで、社会から拒絶されて、一人前として認められないんだ」と、どんどん自信も失い、「やっぱり言わないほうが得かな」と思っていた時期が長くあったんですね。

村木 たぶん、すっごい大きな困難に出逢ったときって、自分でもすごく頑張って、それを乗り越えようとして、自分というものを抑えているんだと思うんですよね。私なんかも、本当の感情が戻っていくまで、実は3年くらいかかっていて。大きな喜びもないし、すごく嘆いたりもしない。「心の中にガラスの天井とガラスの床があるみたい」って思ってた時期がしばらく続いていました。それが3年くらい経ったときに、こう、パリンって割れる瞬間があって。

 苦しかった時の影響って、時間の経過と共にいろいろに表れてくるんだと思うんですよね。法務省の審議会の委員になって、刑務所見学とかに行くんだけど、最初の1、2年は平気だったのに、3年目、4年目になったときに、刑務所とか拘置所へ入っていくと、急に心臓がドキドキして、フラッシュバックみたいなのが起こったりすることがあって。あ、やっぱり、頑張って抑えている自分も傷ついてる自分もいて、いろんな自分がいたんだなと。

――そんな経験を経て一歩を踏み出す時、「こうすればいいんだ」みたいなマインドセットは、どんな風に備わっていきましたか?

鈴木 弱みを持った時、その場で傷ついて退散することが多かったんですけれども、弱みも含めて「こんなコンプレックスがあったよ」とか、オープンに話が出来るようになった時に、楽になった。「あっ、みんな理解してくれるんだな」と。「こういう悲しいことがあったから、そうじゃない社会にしたい」とか、「他に自分みたいな思いをする人を減らしたい」みたいなふうに、自分事のところから他人事も含めて話せるようになると、協力してくれる人も増えていきましたし。「今、マギーズセンターを建てたいんだけれど、土地もないし、建物の建て方も分かんないし、運営もどうしたらいいのか……」と、相談も出来るようになって。周りの人がいないと、自分一人では何もできないんだなっていうことも強く感じているからこそ、できることが逆に増えたんじゃないかなと。今はそんな風に思っています。

<続く>