ほぼ無一文から、世界的なウルトラ大富豪へと上りつめた、関西弁をしゃべる日本人大富豪、本名は、丸尾孝俊(まるお たかとし)。通称、「兄貴(アニキ)」。
兄貴は、3歳のときに母親が家を出てしまい、父親と2人の生活で、子供時代は、食べるものに困るほどの「極貧」時代をすごす。中学を卒業すると、兄貴は「看板屋」に住み込みの「丁稚(でっち)」として就職。その後は、運送会社で働いたり、お笑いの「吉本興業(株)」が当時直営していたディスコで働いたりして、20代後半に、なんのあてもなく、単身「バリ島」に渡った。
派手な服装をしていたのと、毎晩、どんちゃん騒ぎをしながら地元の人々におごりまくっていたおかげで、「お金持ち」と勘違いされてしまい、兄貴のもとには、たくさんのインドネシア人がお金を借りに来たらしい。兄貴はためらわずに、お金を貸しまくっていたら、気がつくと「自分がほぼ無一文」になっていたという。
そんななか、お金を貸していた数十人の中の1人に、「兄貴から借りたお金が返せないので、かわりに、せめて私が持っている土地で、お返ししたい」というインドネシア人がいた。荒れ果ててどうしようもない土地ではあったが、兄貴は、その土地に「自分の電話番号を書いた立て看板」を立てておいたのだ。
そして、数年後。最後に手元に残った「18万円」を前にして、このお金で日本に帰るか、それとも、バリ島でビジネスをするか、思案していたときのこと。
その土地の存在など忘れていたころに、なんと、その荒れ果てた土地が大化けし、「3億円近く」で売れたことを機に、その土地を売って得たお金で、さらに土地を買って価値を上げてから売却、また、さらにその売却したお金で土地を買って価値を上げてから売却を、次々に繰り返し、兄貴は、「不動産デベロッパー」として大成功していく。
バリ島での資産は圧倒的で、現在、関連会社29社を所有し、現地人従業員は5300名を超え、自宅がなんと25軒、さらに800ヘクタール(東京ドーム170個分)の土地を所有する世界レベルのウルトラ大富豪。その「資産」は、「ありすぎて試算できないレベル」とのこと。
さらに、地元の人々に、学校、病院、サッカー場などを寄付するだけでなく、荒れた道路にアスファルトの舗装をしてあげたり、バリ島の伝統芸能の楽団を維持・運営するための資金を、ほぼすべて援助したり。
さらに、さらに、子供たちが集まる場所ではいつもプレゼントを配布し、無料で毎日運行する馬車を寄付しつつ、52人の孤児の「里親(経済的なすべての援助をする)」になるなど、今でも、困っている人には惜しみなく手を差し伸べていて、現地の人からは「兄貴」「マルさん」「ボス」などと呼ばれ、「村長さんよりも偉いくらいだ!」と、慕われている。
また、日本のテレビでも兄貴は特集され、テレビ東京の「ありえへん∞世界」や、テレビ朝日「スーパーJチャンネル」、日本テレビ「金持ちA様貧乏B様」、関西テレビの「偉人変人たかじん」に登場し、大反響を呼んだ。
僕は、兄貴に激しく興味を持った。
「どうやったら、無一文から、そんなに、化け物級に、お金持ちになれるのか?」
「どうやったら、日本から訪れる人が絶えないほど、人から好かれるのか?」
「どうやったら、一気に、自分の人生を変えることができるのか?」
そして、インターネット上の「フェイスブック」に「兄貴 和僑(わきょう)」や「兄貴(丸尾孝俊)」の名前で、兄貴自身が書いている「掲示板」の文章を読んで、腹を決めた。「兄貴に会おう!」と。
【兄貴の言葉】の中にあった、
「とにかく会え! 100通のメールより、1度の面会」
という言葉が、僕の腹を決める、最後の一押しだった。