プロ野球のペナントレースは中盤戦に突入。セ・リーグは巨人と広島が首位を争うが、意外にも頑張っているのが、昨年最下位に沈んだ阪神タイガースだ。
 そんなとき、興味深い本がダイヤモンド社より刊行された。『虎とバット 阪神タイガースの社会人類学』である。アメリカの名門、イェール大学のウィリアム・W・ケリー教授が、阪神タイガースと大阪の絆について解読した「研究書」である。とはいえ非常にわかりやすい語り口で記されており、大変面白く読める。綿密なフィールドワークを重ねて書かれた作品のため、誤解や偏見もほとんどない。
 本書のテーマはズバリ、「なぜ阪神タイガースは、(それほど強くないのに)これほど愛されているのか?」である。ファン自身も自問自答したことがあるであろうこの難問に、外国人研究者はどのように立ち向かったのか? 本書の抜粋を3回に分けて紹介する。

ソープオペラとしてのタイガース

 1996年の来日直後の経験から、わたしはタイガースの球団上層部が分裂し、チームはばらばらで、ファンはその体たらくをどこかいとおしく思っていることを察した。タイガースでは、あらゆる物事が感情的なメロドラマになりがちだった。それは第一印象であり、分析の用語として採用したのはもっとずっとあとだったが、ソープオペラというジャンルとの類似は、タイガースのスポーツワールドの際立った特徴を理解するうえで極めて重要だと考えるし、さまざまな意味で、本家よりタイガースのほうがこのジャンルの定型をなぞっていると考える。

 アメリカでは、ソープオペラのブームは数十年前に去ったので、若い読者にはなじみのない人もいるだろう。ソープオペラとは日常生活と人間関係を描いた連続ドラマで、各話30分が午後に放送された。“ソープ”の名のとおり石けんと洗剤の会社が番組スポンサーを務め、主な視聴者はそうした商品の購買層である“主婦”だった。主婦たちは、家事に精を出す午前中と、子どもたちが学校から帰ってくる夕方までのひとときの楽しみを探していた。実際には30年代にラジオドラマとして始まったが、50年代初頭から20世紀末にかけてテレビで一大ジャンルとして勢力を誇った。

 研究者によれば、ソープオペラを構成する主な要素は三つある。まず、複数話単位の紆余曲折のある複雑なストーリーで、はっきりとした結末が示されないこと。次に、こうしたとりとめのないストーリーの軸に、長く登場し、視聴者が共感できるキャラクターたちの重層的な軋轢があること。そして最後に、単なるドラマではない、露骨で、大胆で、オペラ的な感情の激発を伴ったメロドラマであること。ソープオペラの登場人物は、たいてい気持ちをそのままぶちまける。

 それゆえ、スポーツ観戦とソープオペラの関連を指摘するのは自然なことで、実際多くの専門家が関連性を分析している。たとえばアヴァ・ローズとジェイムズ・フリードマンは次のように述べる。

 スポーツでは、試合の分析と、過去と現在との整理が未来へ向けて行なわれ、その流れを解説者の予測が加速させる。ところが、こうした直線的な流れは結末や終幕には行き着かない。ソープオペラと同様、スポーツは続きものだ。常に現在進行形で、先があり、“次回へ続く”。連続ドラマと同じで、一回限りの視聴では終わらない。試合は常にシーズン全体や、大会の年間サイクルの文脈の中で捉えられる。その意味で、決着は永遠につかない。常に次の試合やシーズン、スター選手がやって来る。

 こうした意見には異論もあるが、わたしはタイガースの現地調査の日々で、両者の密接な関連性を確信したし、タイガースのスポーツワールドの在り方と熱量を把握するにはソープオペラが中心的な枠組みになると考える。とはいえ、ローズとフリードマンの単純な意見をうのみにするわけにはいかない。
すべてのプロスポーツにソープオペラとの類似性が認められるわけではない。プロテニスやプロスキー、カレッジバスケにプロバスケ、ラグビーといったスポーツには、魅力的なドラマの連鎖がある。
 しかし多くのスポーツで登場人物は限られており、スケジュールは飛び飛びで、ストーリーは未完成、注目は限定的で、それをソープオペラと同じだと主張するのは無理がある。

 その一方で、欧州や南米の一流リーグのサッカーや、パキスタンなどでのクリケット、カナダのアイスホッケー、そしていくつかの国の人気スポーツは、まさにソープオペラ的と言えそうだ。米メジャーリーグや日本のプロ野球は、8ヵ月間ほぼ毎日にわたって試合が開催され、あらゆるスポーツの中でもとりわけシーズンが長い。野球は数多くの選手を登録し、専門性の高いポジションの数々で構成される。リーグ戦形式の戦いは長年のライバル関係を生み、メディアでの扱いは大きく、またキャリアにはさまざまなレベルがある(日本では高校球児も国民的な関心の対象となる)から、登場人物は長いあいだ関心を引く。そしてソープオペラと同じように、野球も明確な境界のある“ドメスティック”な空間を舞台とする。野球では、ほとんどの出来事が内野周辺で起こる。少々狙いすぎな場内音楽や、選手と審判の派手なジェスチャーもソープオペラと似ている。

 野球はエピソード、感情、モラルというソープオペラの三要素を先鋭化したスポーツであり、これらはタイガースワールドの体験と内部の人間関係を理解するカギにもなる。

 タイガースワールドのタペストリーに織り込まれたストーリーの密度は、ソープオペラの長寿番組をも凌駕する。登録選手にも、各シーズンにも、80年に及ぶ球団史にもストーリーがあり、それがタイガースの選手を球団の歴史や他選手、他球団のストーリーと結びつけている。一方で選手やチームは、細かい網の目のような数値指標で成績を評価される立場でもある。記録の継続的な作成は近代スポーツの決定的な特徴だが、データの細かさで野球は他の追随を許さない。登場人物たる選手は、みなストーリーと数字という土台の上に立っている。スポーツ新聞はどれも、シーズン中には毎日、打撃20傑や投手20傑といった細かな表を載せ、無数の指標(出場試合数、勝利数、奪三振数、四死球率、防御率などなど)の成績を紹介する。大手出版社は、毎年もっと詳細なデータの載った年鑑を出版し、全チームの全選手の数字を細かく比較する。身長に体重、経歴、主な成績、過去5年間の年俸の上下……。こんなふうに業績が継続的に一般公開され、個人とチームのストーリーが統計の網の目を通じて語られる職業は、世界のどこを探してもほかにない。