そして、30代後半の大人になった今も、たびたび筆者の社会の窓は開いている。開いている人を頻繁に見掛けることもある。小学生の子どもならかわいげがあり、周囲も「開いているよ」と気軽に声をかけることができるが、大人にはどうだろうか。声をかけて教えるべきなのか、それともスルーしてやり過ごすべきなのか。思い悩む人も多いと思う。

なぜ「社会の窓」は開いてしまうのか

 そもそも社会の窓は、なぜ開いてしまうのか。筆者は元大酒飲みで、今は断酒しているのだが、お酒を飲んでいるころは、酔っ払っていることが原因と思い込んでいた。しかし、お酒をやめた今でも、筆者の「社会の窓が開いている率」は下がったとは思えない。

 一番あり得る可能性としては、トイレに行った後に閉め忘れてしまったということ(特に小便の時)。次は、もともとズボンをはく時に、チャックを上げ忘れていたという可能性。どちらにしろ、うっかりミスが原因だが、こうした生活に根ざした行動は、本来ならば何も考えず反射的にできるようになっていなければいけないはずのものである。

 たとえば、家に帰ったら手を洗い、うがいをする、毎日きちんと歯磨きをする、といったたぐいのことは、筆者は両親から厳しくしつけられた。しかし、なぜかトイレから出た後に、「ちゃんと社会の窓を閉めた?」としつこく確認された記憶はない。なぜなのだろう。筆者の家だけなのかもしれないが、デリケートな部分に関わる問題なだけに、親子といえども言いにくい雰囲気があったのだろうか。謎が深まるばかりである。

 そういえば、会社員になってスーツを着ていたときも、ネクタイの角度や、髪の乱れなどはしっかりチェックしてから出勤していたものの、社会の窓が閉まっているかどうかまで確認する習慣はなかった。ある意味、一番大切な身だしなみの部分なのに、不思議なものである。就職活動の指南書にも、社会の窓についての記述は見たことがない。男性向けのお洒落指南本を読んでも、「チャックをきちんと閉めるのがイケてる大人のたしなみ」といった助言には出合ったことがないように思う。

 おそらく、それだけ閉めることが当たり前のものとして、扱われてしまっているのであろう。社会の窓が開いているとだらしなく、自分が恥ずかしいのみならず、場合によっては相手に不快感を与える。そうした常識が自明のものとなりすぎているため、あえてそのことに対して注意を促す必要がない。完全に、身だしなみの盲点である。

 さらに、厄介なのは、社会の窓が開いている人を見つけたときに、指摘するかどうかである。筆者は、普段はオーバーサイズのシャツやTシャツを着ることが多いため、開いていても気づかれない場合がある。自分で気がついたときは、ポケットを探るような不自然な動きをして、何気なく閉めるようにしている(はたから見ると完全に怪しい人だ)。