連合赤軍やオウムだけではない。ナチスやポルポトや大日本帝国など、すべての組織共同体が引き起こす壮大な失敗の背景には、この負のメカニズムが絶対に働いている。

もしも連合赤軍事件がオウム後に起きていたら……

 壇上でマイクを握りながら、当事者である4人の口は重い。彼らは被害者でもあるし加害者でもある。アイスピックで何度も仲間の胸を突き刺している。縛った仲間の腹を内臓破裂するまで蹴ったり殴ったりしている。凍死するまで放置している。できることなら、その記憶から逃げたいはずだ。忘れ去りたいはずだ。だからじっと俯いている。唇を噛みしめている。でもこの場からは逃げない。沈黙しない。必死に記憶をたどっている。言葉を紡ごうとしている。要約しない。まとめない。

 そんな光景を眺めながら、地下鉄サリン事件から40年が過ぎたとき(つまり2035年だ)、このようなシンポジウムが行われるだろうかと考えた。間違いなく不可能だ。だってオウムの場合は、主要な事件の当事者のほとんどに対して、死刑判決が下されているのだから。精神が崩壊したまま被告席に座らせられ続けた麻原も含めて、質問に答えられる人がいない。

 もしも連合赤軍事件がオウム後に起きていたら、彼ら革命兵士の多くは、当然のこととして死刑判決を受けていたはずだ。 厳罰化はそれほどに進んでいる。それによってこの社会は、学んだり考えたりする機会を失い続けている。

 とても屈折した言いかただけど、連合赤軍がうらやましい。そんなことを思いながら、会場を後にした。