「愛があれば」「やりすぎでなければ」、という前提付きで体罰やパワハラを認める日本人は、実は非常に多い。子供を持つ親はもちろん、テレビのコメンテーターやMCでさえ、堂々とこうした自説を述べる。つまり、日本はそれほどに「愛ある暴力」信仰が染み付いている国であり、これが変わらない限り、パワハラはなくならないだろう。(ノンフィクションライター 窪田順生)
教育には体罰も必要!?
日本にはびこるパワハラ必要論
少し前、朝の情報番組を見て驚いた。
「体罰もやりすぎにならないならいい」
「命に関わることなどは、やっぱり痛みで教えたい」
「親にお尻を叩かれて、はじめて悪いことだと気づく」
なんて感じで、街頭インタビューに登場したお母さんたちや、スタジオのMCやコメンテーターたちが、今国会で成立した「体罰禁止法」に不満タラタラなのだ。
親による子供への体罰を禁止することを柱とした、改正児童虐待防止法が施行されるのは来年4月。そこから2年のうちに民法で認められた、親権者が必要な範囲で子供を戒める「懲戒権」の廃止も検討されるが、番組MCたちは、「しつけ」で子供を叩いた経験のある親は7割もいるというデータも持ち出して、「時にきつく叱るのも子どものため」と視聴者に訴えかけていた。
個人的には、ここまで「叩かずにどうやって子供を教育するんだ」という親が多いことに驚いたのだが、その一方で妙に納得をした部分もある。
なくせ、撲滅だ、と叫びながらも、企業や教育現場でのハラスメントや陰湿なイジメは一向になくならない。ここまで多くの人が「体罰」というものの教育効果を認めているのなら、このような「一億総パワハラ社会」になるのも、なんら不思議がないのだ。
我が子をしつけたい親の「愛のムチ」と、理不尽なパワハラなんかを一緒くたにするなんて不愉快だ、と今すぐ筆者の横っ面をはたきたい衝動にかられている方も多いだろうが、実はこの2つの原動力となっている思想はほとんど変わらない、いや、全く同じと言ってもいい。
それは、「暴力は絶対ダメだけど、私の暴力は愛があるからセーフ」という、なんとも御都合主義的な「ダブルスタンダード」である。