贋作「エマオの食事」贋作「エマオの食事」は、オランダの美術界の重鎮が太鼓判を押したことにより、フェルメールの傑作として通っていた。現在、ボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館では、「後世への戒め」として、一般公開している 写真:dpa/時事通信フォト

誰でも、最初は先達の作品(美術品)を模倣することから始める。美術品のコピーを制作するだけなら犯罪にはならないが、「贋作」を販売すれば、立派な詐欺行為となる。とはいえ、おカネが動機とは限らない、贋作者たちの屈折した内面に秘められた心理に迫った。(ダイヤモンド編集部 池冨 仁)

美術品を破壊しようと目論んだ
ヒトラーに対抗

 頭に青いターバンを巻いた少女がこちらを見詰める「真珠の耳飾りの少女」などの作品で知られるヨハネス・フェルメール(1632~75年)は、17世紀のオランダを代表する画家である。緻密な空間の構成と光を取り入れた巧みな質感の表現は、現代の日本でも人気が高い。

 世界の美術界で、今日でも“20世紀最大の贋作事件”といわれる大騒動が、第2次世界大戦が終結した1945年に発覚した「フェルメール」事件である。ナチス・ドイツは、欧州各国から略奪してきた美術品の数々をオーストリアの鄙びた山村にあった塩坑(岩塩の採掘坑)に隠しておいた。

 美術愛好家でもあったヒトラーは、ナチスの敗色が濃厚になった45年の春に「(戦争に負けて)連合軍に美術品のコレクションを引き渡すくらいなら、自分たちの手で破壊してしまえ」という爆破指令を出す。この情報を入手したレジスタンスのメンバーは、ナチス側の協力者(美術品の修復を担当する専門家)のサポートを得て、かなりの数の美術品の奪還に成功する。