第一次政権で失敗した
安倍は努力家に変貌した

 安倍は、首相の座を外れた後の2007年から12年までの5年間、周囲が驚くほど勉強していたという。また、若手議員の応援には、率先して駆けつけるようになった。若手議員たちが、「少し煙たく感じていたようだった」(官邸関係者)というほどの変貌ぶりである。櫻井よしこなど、右派系論壇人とも積極的に交流をもつようになった。逆にいえば、それまであまり汗をかいていなかったということの証左でもあるが…。

 満を持して安倍が2回目の総裁選に出馬した時、所属派閥である清和会のトップは町村信孝。周囲では当然、「ボスを差し置いて出るのか」という非難の声が強かった。その声を押しのけてまで「もう一度、首相の椅子に座るんだ」という安倍の意志はすさまじかった。

 当然、反発も大きかった。当時、清和会の真の首領であった森喜朗、山崎拓(現石原派最高顧問)、渡邉恒雄読売新聞社主などの間で「談合」が持たれ、石原伸晃を推すことが決まったのだという。

 しかし、安倍の準備(執念)は、石原や石破などの敵失によって成就することになる。自民党本部での決選投票日、本部の前で安倍に心酔していた言論人が、日章旗を振って、「フレー、フレー、安倍!」と、叫んでいた。

 そうして、党内野党時代に臥薪嘗胆して耐え忍んだ経験が、全て敵失で報いられるという皮肉な結果を生んだのだ。それが安倍長期政権の最大の理由である。田村は言う。

「民主党がなぜダメなのか。それは、再び野に下っても離合集散を繰り返しているからだ。反省せずに、党名が悪いと言っては名称を変える。選挙になると、小池新党にいったり、立憲民主党に分かれたり、日に日に混乱に拍車をかけている。これが、安倍さんが6回も国政選挙に勝てた最大の勝因ですよ。誰もが野党よりマシだと思うでしょう」

 田村は、それもまた、「時流」という誰も読めない風に乗れた安倍の強運であるというが、安倍には、5年をかけて側近と共に下絵を描いた小泉の「郵政民営化」のように、「信念を持った政策」がある。憲法改正だ。郵政法案同様、否、それ以上に賛否両論が大きく、歴代首相が避けてきた課題でもある。

 最近の安倍は、党則を改正して4選を目指し、その布石として、来秋までに解散総選挙を打つと見られている。その時に、「憲法改正」は錦の御旗になるのか。そしてそれは、民意を得られるのか。いかに安倍が強運に恵まれた宰相であったとしても、時流が彼に味方するかどうかは、16人の首相に仕えた田村ですら、想像もつかないという。
(文中敬称略)