神戸市立小磯記念美術館 Photo by Kenichiro Akiyama(以下同)

戦時中、軍部から依頼されて「戦争画」を描いた画家たち。その中の1人、小磯良平は何を思って戦地に赴いたのか。小磯記念美術館と遺族への取材から、「戦意高揚とはかけ離れた作風で描かれた戦争画」に込められた思いをたどった。(ジャーナリスト 秋山謙一郎)

モノクロ写真の時代
画家の影響力は絶大だった

 いつの時代でも、どんな社会でも、人は抗えない流れの渦に飲み込まれることがある。その渦のなかで、みずからの良心に従って、冷めた知性に基づいて行動できる人こそ、真に強い人なのかもしれない――。

 特攻隊員を描いた1枚の油彩画がある。芸術に親しまない者から見ても、一見して、美術的な価値の高さがわかる。西洋画と特攻隊員という奇妙な組み合わせ、これがかえって、言葉では言い表せない何かを訴えているかのようにみえる。描かれている特攻隊員の表情からは、ときに「真実を写す」といわれる写真ですらくみ取れないであろう、彼の思いがキャンバス越しに伝わってくる。同時に、これを描いた描き手の思いもまた、おのずと浮かび上がってくるようだ。

 その描き手は小磯良平(1903~1988年)。現在の日本美術展覧会(日展)で特選、美術界では当時も今も“芸術界の東大”といわれる通称・美校、東京美術学校(現在の東京藝術大学)を首席で卒業、フランス留学…という、華麗なる経歴を誇る画家である。当時、画壇では年齢的には若手ながらも、その実績からすでに中堅に位置づけられていたスーパースターだ。

 メディアが発達した現代とは違い、写真はモノクロ、動画は音声なしの時代である。大きなキャンバスに色彩豊かに描かれる絵画の社会への影響力は、今日とは比較にならないほど強かった。これを描く画家もまた同様に、スター性を持った職業であった。

 それは経済面の成功にも表れている。小磯研究家として知られる神戸市立小磯記念美術館の廣田生馬学芸係長に、当時の小磯の制作収入について聞いた。

「ポスター原画1枚あたり、制作費200円で請けていた記録があります」

 日中戦争前の1935(昭和10)年、大学卒業者の初任給は約90円、新聞購読料は90銭であった。一概に比較はできないが、当時の1円は、現在の貨幣価値に置き換えると約2000円から2500円程度といったところか。そうすると小磯のポスター原画制作1枚あたりの収入は、現代なら約50万円程度と考えられる。

 ポスター原画制作でこの金額だ。比較的小品のポスター原画とは異なり、油彩画の代表作となると、どれだけの値打ちになるか、およそ察しのつくところだろう。小磯がそれなりの収入を得ていたことは間違いない。