「ドナルド・トランプ大統領が来年の選挙までにすべき主な仕事の一つ、それは経済を台無しにしないことだ」。米国の政治雑誌「ポリティコ」電子版は7月25日にそう報じた。
大統領のアドバイザーたちは、来年11月まで大統領は貿易交渉と政府支出、米連邦準備制度理事会(FRB)の金融政策に対して冷静でいるべきだと進言していた。再選を果たすには何よりも経済の好調さが重要だからである。
ところが8月1日に大統領は、側近たちの反対を強引に押し切って、中国からの輸入品3000億ドル相当に新たに10%の関税をかけると宣言してしまった。中国政府は明らかに持久戦に持ち込もうとしているが、トランプ氏はそれに焦りを感じ始めているようだ。複数の米主要紙は、大統領が最近ますます聞く耳持たぬようになっている様子を関係者への取材で明らかにしている。
米国の企業経営者や世界の金融市場参加者は、大統領がかんしゃくを起こしたように突然政策を変えることに強い不安を抱いている。
ジェローム・パウエルFRB議長は少し前に、「1オンスの予防薬は、1ポンドの治療薬に値する」と述べた(16オンス=1ポンド)。早めに少々の予防薬を処方すれば全体の治療コストは軽減されるという考え方だ。そのスタンスで7月に予防薬として0.25%の利下げが決定された。
しかし、今の大統領は普通の大統領とは違う。FRBのそうしたサポートに甘えてモラルハザードを起こす恐れがある。実際、7月のFOMC(米連邦公開市場委員会)の翌日にトランプ氏は、前述の関税を決めてしまった。これにより「金融政策は再び関税にハイジャックされてしまった」と有力FEDウォッチャー(FRBの動向に関する専門家)、ルー・クランドル氏は嘆いている。
9月初めに発表される米サプライマネジメント協会(ISM)製造業景況感指数が拡大・縮小の分かれ目である50を下回るなどしたら、FRBは9月に2回目の利下げを決めざるを得なくなるだろう。だが、貿易戦争の行方を心配して米経営者が投資を縮小させ続けるなら、FRBの利下げは本質的な解決策にならない。大統領がそれに早く気付かないと、世界経済を失速させるだけでなく彼自身の来年の再選も危うくなってくる。
さらに、トランプ氏は8月2週目に人民元の対ドルレートが低下したのを見て米財務省に中国を為替操作国と認定させたが、これも冷静さを欠いた決定だろう。米ハーバード大学のローレンス・サマーズ教授(元米財務長官)は、今回の人民元の低下は市場の流れに沿ったものにすぎず、米財務省は信認を失ったと批判している。
また、国際通貨基金(IMF)の幹部は6月の記者会見で、「人民元はオーバーバリューでもアンダーバリューでもない。それと同時にわれわれはこの数年に見られた為替レートの柔軟性拡大を大変歓迎している」と発言していた。
しかも、中国当局はこの5年間で外貨準備を大きく減らしている。つまり外貨を売って、人民元を買い支えてきたのである。中国の輸出産業を有利にするための「競争的な外貨買い・人民元売り介入」を中国当局は近年ほとんど実施していない。
先行きトランプ氏がまたかんしゃくを起こして、ドル売り・人民元買い介入を米財務省に命じる可能性は排除できないものの、米政府にとって本来必要な介入の「大義名分」は現時点では十分に存在していないように思われる。
(東短リサーチ代表取締役社長 加藤 出)