メインバンクの意向

 議題が次期社長の選任に及んだとき、今まで沈黙をつらぬいていた大江戸銀行の伊藤が手を挙げて話し始めた。

 「先代の社長は、一代で千葉精密を成長させた素晴らしい経営者でした。この度は心からお悔やみ申し上げます」
 伊藤は深々と頭を下げた。

 「御社の新社長を選任するにあたって、メインバンクの立場から意見を述べさせて頂きます」
 伊藤は咳払いをしたあと、持ってきた資料に目を通しながら続けた。

 「当行からの貴社に対する10億円の融資に対して、千葉社長には連帯保証に加えて、ご自宅も担保に入れて頂いております」

 早苗は大吉が生前に「会社がつぶれるときは、家もなくなるぞ」と言っていたことを思い出した。

 「今回、島田専務、山崎常務のいずれかが社長に就任すれば、先代の社長と同様に連帯保証と自宅の担保設定をさせて頂きます。ただ、それだけでは……」

 伊藤は穏やかな口調で話していたものの、千葉家と比べると資金力で劣る島田、山崎の社長就任を牽制した。

 伊藤が話し終えると、会議室は重苦しい空気に包まれた。オブザーバーとはいえ、資金の最大の出し手であるメインバンクの意向を無視することはできない。

 (それじゃあ、いったい誰が社長をやるんだろう……)

 「選択肢は、ないということか……」

 島田の歯切れの悪いつぶやきに、伊藤が黙ってうなずいた。

 早苗が顔を上げると、心配そうな表情をした島田と目が合った。

 「まぁ、仕方ないですね。新社長のお手並み拝見といきますか」

 憮然とした表情の山崎も、早苗に視線を送った。

 (えっ? 何この展開? も、もしかして……)

 「え、私が社長をやるんですか――?」
 早苗は、思わず立ち上がってそう叫んでしまった。

 こうして早苗は、先代社長の一人娘という理由だけで、本人の意思とは関係なく、千葉精密工業の新社長に27歳の若さで就任したのだった。

 つづく

相馬裕晃(そうま・ひろあき)
監査法人アヴァンティア パートナー、公認会計士

1979年千葉県船橋市生まれ。
2004年に公認会計士試験合格後、㈱東京リーガルマインド(LEC)、太陽ASG監査法人(現太陽有限責任監査法人)を経て、2008年に監査法人アヴァンティア設立時に入所。2016年にパートナーに就任し、現在に至る。
会計監査に加えて、経営体験型のセミナー(マネジメントゲーム、TOC)やファシリテーション型コンサルティングなど、会計+αのユニークなサービスを企画・立案し、顧客企業の経営改善やイノベーション支援に携わっている。年商500億円の製造業の営業キャッシュ・フローを1年間で50億円改善させるなど、社員のやる気を引き出して、成果(儲け)を出すことを得意としている。
著書に『事業性評価実践講座ーー銀行員のためのMQ会計×TOC』(中央経済社)がある。MQ会計を日本中に広めてビジネスの共通言語にする「会計維新」を使命として、公認会計士の仲間と「会援隊」を立ち上げ活動中。