父親の急死

 しかし、突然「それ」は起きた。父の大吉が急逝したのである。

 2017年11月、ある雨の日曜日。早苗は、自宅2階の書斎で父が倒れているのを発見した。すぐに救急車で病院に搬送されたが、意識が戻ることはなかった。死因は心筋梗塞だった。

 面倒見が良く、商工会議所の役員も務めていた大吉の葬儀には、たくさんの友人・知人が集まった。

 しかし、早苗は葬儀のことはほとんど覚えていない。大好きだった父親との突然の別れという過酷な現実を受け入れるには、あまりに時間が少なかった……。

 千葉精密工業の臨時株主総会は、葬儀の1週間後に開催されることになった。

 総会には、父親の株を相続し筆頭株主となる予定の早苗、専務取締役・島田晃一、常務取締役・山崎敬志、オブザーバーとしてメインバンクである大江戸銀行錦糸町支店長・伊藤直人の4人が参加した。

 早苗の左手首には、女性にしては大きすぎる42mmの機械式時計がはめられていた。父が自ら製作し、最後の日にも身につけていた愛用のオリジナル時計だ。

 父が倒れた時の衝撃で壊れたのか、いくらリューズを巻いても時計の針は止まったままだった。父を近くに感じられる気がして、早苗は父の葬式以来、それを肌身離さずにいた。

 (次期社長は、島田さんかしら? それとも山崎さん?)

 早苗は次期社長について、他人事のように考えていた。

 創業時より父の右腕として製造トップを任されていた島田専務、営業部長に昇格してから、短期間のうちに千葉精密の売上を2倍にした営業部トップの山崎常務。いずれも社長となるには十分な実績である。

 社内でも次期社長がどちらになるかの話で持ちきりだった。ライバル関係にある両者もまんざらでもない様子で総会に臨んでいた。