ベストセラー『ジャパン・アズ・ナンバーワン:アメリカへの教訓』から40年! その著者にして東アジア研究の権威であるハーバード大学のエズラ・F・ヴォーゲル名誉教授の素顔とは? 世界のバランス再均衡に対し日本はどう立ち振る舞うべきか、毎年のように日中両国に足を運んできたヴォーゲル教授がいま日本人に伝えたいことを語り尽くした新刊『リバランス 米中衝突に日本はどう対するか』が発売されました。ヴォーゲル教授に薫陶を受けた“教え子”の一人であり、今回の本の聞き手である加藤嘉一さん(香港大学兼任准教授)による「はじめに」を一部ご紹介します。東アジア研究に打ち込むヴォーゲル教授の素顔が垣間見られます。

 人は一生のうちに、果たして何人から「真の影響」を受けるのであろうか。
 私にとって、エズラ・ヴォーゲル先生(以下「先生」)は、間違いなくその一人であろう。

 縁あって、2012年8月から2年間、ハーバード大学のケネディスクール(公共政策大学院)とアジアセンターに籍を置きながら、中国問題、日米中関係、東アジアの国際関係などを研究する機会を得た。この機会を作ってくれたうえ、滞在中、何から何までお世話になったのがヴォーゲル先生である。

日本を研究することになったきっかけ

 先生は、自分が来年90歳になること、両親がヨーロッパから移民してきたユダヤ人であること、オハイオの小さな街で育ち、教育を受けたことなどを、みずから進んで語りかけてくる。

 その後ハーバード大学で博士号(社会学)を取り、1958年に奨学生として日本へ留学する。1年目は日本語を学習し、2年目は千葉県市川市を拠点に日本の一般家庭に入り、そこから日本の社会構造や国民性を考察する。精神病患者のいる家庭に関する博士論文を書いた先生は、米国とは異なる社会へ赴き比較研究をするべきだ、という指導教官からの助言を受け、それまで特に関心を持つことはなかった日本へ行くことを決めた。

 2年間の現地視察を経て、家庭という領域を超えて、より大きな視点から、日本社会を総合的にとらえることの面白さと重要性を身に染みて感じた、と言う。のちにベストセラーとなる『ジャパン・アズ・ナンバーワン:アメリカへの教訓』(1979年出版、阪急コミュニケーションズ)はそうやって生まれたのだろう。

 1960年、日本から帰国後、先生は中国と中国語の学習を始め、後にハーバードで中国に関する授業を担当するようになる。初めて中国本土に足を踏み入れたのは、文化大革命の真っ只中だった1973年のことだ。当時すでに癌を患っていた周恩来首相とも会見している。2000年にハーバードを退職後、約10年かけて研究・執筆した『現代中国の父──トウ小平』(日本経済新聞出版社)もまたベストセラーとなり、中国では100万部以上の売れ行きとなった。

 先生は、日本と中国に関するこれらの本を書いた目的を「米国人の、日本や中国に対する理解を促進すること」だと断言する。たとえば、トウ小平の伝記を書いた動機として、現代中国を知るためには改革開放を理解しなければならないし、それを設計した張本人であるトウ小平という人物に迫り、描くことで米国人の中国への理解と思考が深まるのだ、と言う。

日中の言葉を自在に操る

 先生のすごいところは、祖国の同胞に向けた書いた本が、結果的に研究対象国である日本と中国でベストセラーになってしまうことである。それだけではない。会議やイベントに出席するために日中へ赴けば、それぞれ日本語と中国語で取材を受け、講演をする。

 言語学の専門でもなければ、博士課程を終えるまで日本と中国を専門に勉強したわけでもない先生が、血のにじむような努力を通じて日本語と中国語の習得に向き合ってきたことを私は知っている。ハーバードにいた2年間、我々はほぼ毎週のように会っては、中国問題や日中関係に関する議論を重ねた。先生は優しくて、決して偉ぶらず、いつも親身になって、対等な立場で、孫の世代に当たる私と向き合ってくれた。「人格者」とは、先生のためにある言葉だといつも思っていた。

 ひたむきに研究対象に向き合う先生と触れるたびに、どうすれば自分も先生のようになれるのか、先生はどういう目標と意識を持って日々の仕事に取り組んでいるのか、と常に考えさせられてきた。ルーティーンはあるのか、健康管理はどうしているのか、外国と向き合うなかでアイデンティティーは再構築されているのか、ユダヤ人として中国人をどう思っているのか、学者としてどう祖国を愛するのか、これからどこへ向かおうとしているのか……。

 職業人という範疇を超えて、日本人として、一人の人間として、己はどうあるべきなのか。先生と一緒に過ごした日々は、まさにそういう問いに向き合い、自分なりの答えを模索する時間にほかならなかった。

 「真の影響」とは、そういう意味である。

キッシンジャーに周恩来をどう語ったのか

 先生を追いかける異国の後輩として、先生が米国人として日本と中国を研究し、その地の人々と付き合うなかで感じてきたこと、考えてきたこと、動いてきたことについて腰を据えて伺い、記憶だけでなく、記録としてもしっかり残しておきたかった。

 先生はみずからの研究方法を「人と知り合い、人を通じて対象に向き合うこと」だと定義する。先生に研究生活を振り返ってもらい、語ってもらう一つ一つの場面は、激動の局面にある米中関係、そして日本がそこにどう対していくかという、私たち日本人がこれからを生きるうえで極めて重要な問題を解きほぐすための「生きた素材」になると考えた。本書『リバランス 米中衝突に日本はどう対するか』は、そういう意識と立場の下で作られている。

 ニクソン電撃訪中、米中国交正常化を促すべく、ハーバードの同僚たちと何を語り、ホワイトハウスにどう働きかけたのか。
 キッシンジャーに対し、どんなふうに周恩来を語ったのか。
 30年前に起こった「天安門事件」を踏み台にして、共産党総書記に上り詰めた江沢民のハーバード講演を、どうやって実現し、成功させたのか。
 2年間だけ役人生活を務めたワシントンで、何を感じたのか。
 なぜ中曽根康弘を「大人物」だと認識し、今の日本にはそのような政治家がいないと考えるのか。安倍晋三、小泉進次郎をどう評価しているのか。
 今、習近平に何を伝えたいか。

 ヴォーゲル先生には、みずからの経験と知見に基づきながら、「中国」「日本」「米国」「日中関係」「米中関係」、そして「官僚と政治家」と全6章にわたって、私の質問に答える形で存分に語っていただいた。また、それぞれの章で何がどう語られているのか、どういう視点が独自的であり新鮮か、読者の方の導線になればと思い、僭越ながら、各章の冒頭で「概要」を書かせていただいた。それによって、読者のみなさんがヴォーゲル先生の言葉により深く入り込んでいけるのであれば、望外の喜びである。