シンガポール在住のベンチャー投資家、蛯原健さんの初の著書『テクノロジー思考―技術の価値を理解するための「現代の教養」』をめぐって、『ITビジネスの原理』『アフターデジタル』などの著作をもつフューチャリスト・尾原和啓さんがするどいツッコミを入れる対談の後編です。この本を「新しい地球の歩き方」と評した尾原さんの真意とは。(構成:田中幸宏)

イノベーションのインフレ、失敗のデフレが同時に起きた

尾原和啓(以下、尾原) テクノロジー思考というのは、何かベースがあるんですか? 僕はその論理展開の鮮やかさが悔しくて。テクノロジー思考のエッセンスを教えてください。

蛯原健(以下、蛯原) 思考のフレームワークという意味では、終章で「具体と抽象の行き来」「組み合わせ(フィット)」「(自分で創り出すものとしての)未来論」の3つを取り上げています。これは、この数年間、ずっと蓄積してきたフレームワークを人様に出すために磨き上げて文字にしたというだけで、それぞれ何かお手本やモチーフがあるわけではないんです。ただ、こういう思考法は書けば書くほど一般化しすぎてしまい、テクノロジーと離れてしまう傾向があるので、あえてあまり突っ込んだ記述はしていません。むしろ本書は、そういうフレームワークを使っている人間が世界を眺めたらこう見えますよ、ということをまとめた、随筆のようなもの、という言い方もできるかもしれません。

尾原 随筆というのは、論理思考による積み木なので、論理思考を積み上げていったときに、どれだけ高みまで昇っていけるかで価値が決まります。よいエッセイは、積み木のタワーの上に立つことによって、結果的に世の中の見晴らしがよくなるから、思い切って未来に飛び込んでいける力を授けてくれます。蛯原さんは積木の積み上げ方がすごくて、僕は、序章から2章と終章の部分は、ポアンカレの名著『科学と仮説』(岩波文庫、1959年)のテクノロジー版じゃないかと思っているんです。

蛯原 「具体と抽象の行き来」はまさにそういうところがあって、具体を認識するんだけど、一方でコンセプトの抽象度をグッと高めすぎると、すべてが相対的なものになってしまうので、そのピント合わせがけっこう重要です。一番バランスがいいのは、マジョリティのコンセンサスの半歩先を行くくらいのイメージです。

尾原 あと、1章で僕がおもしろいと思ったのは、イノベーションはもうネットの外に行っているよね、という話です。ソフトバンクの孫さんも、「GAFAだとか巨人だとか言っているけれど、じゃあ彼らがなんのビジネスを取っていったのかというと、広告と小売り、このたった二つなんですよ」と言っていますが、GDPの9割くらいを占める残りの産業はこれからゲームチェンジを迎えます。ネットの外で起きるイノベーションはあまりにも激しく、非連続的なので、イノベーションのインフレが起きる。

蛯原 つまり、イノベーションの価値が上がって、どんどんお金が集まります。ユニコーン(時価総額1ビリオンドル=10億ドル=1000億円以上の未上場企業)が増えているのは、そのためですね。

蛯原健(えびはら・たけし)
1994年、横浜国立大学経済学部を卒業し、㈱ジャフコに入社。以来20年以上にわたり一貫してスタートアップの投資及び経営に携わる。2008年、独立系ベンチャーキャピタルとしてリブライトパートナーズ㈱を創業。2010年、シンガポールに事業拠点を移し東南アジア投資を開始。2014年、バンガロールに常設チームを設置しインド投資を本格開始。現在シンガポールに家族と在住し、インドと東京の3拠点にて事業を行う。日本証券アナリスト協会認定アナリスト(CMA)。『テクノロジー思考』が初の著書となる。 写真提供:蛯原健

スタートアップブームが起きた理由

尾原 いまから4年くらい前は、シリコンバレーの大手の金融機関の人たちはみんな「ウーバナイゼーション(ウーバー化)」を怖がっていた。ウーバーによってタクシー業界が破壊された。自動車メーカーも潰れるかもしれない。金融の世界でウーバナイゼーションが起きたら、大手銀行が潰れるかもしれない。みんな怖がっていて、それが結果的にイノベーションのインフレにつながりました。だけど、蛯原さんが慧眼だったのは、イノベーションのインフレがあったから、失敗のデフレ(失敗の価値が下がる=失敗してもOK)も起きたと指摘したこと。だからこそ、何も恐れず、スタートアップをやるべきだと。

蛯原 結局、最もイノベーションがほしいのは、大組織、大企業なのです。自分たちでやれない事はないが、そのためのコストが有形無形に大きすぎるからです。大組織の典型とは実は政府、つまり国家なのです。よって既存の枠組みで勝者だったはずの政府とレガシー産業の大企業が、いまや猫も杓子もスタートアップが大好き、という時代になっています。

尾原 4年前くらまでは大企業にとってスタートアップは恐怖の対象だった。ところが、ここ3年くらいでモードチェンジが起こって、大企業も国も、イノベーションを抱え込むために、むしろスタートアップを大歓迎するようになりました。それは数字でも明らかで、大企業傘下のVCが、ベンチャー投資の半分を占めるようになっています。

蛯原 ベンチャーマネーの性質も、その主たる出し手も、IPOも、その意義・目的が根本から変わりました。他にも根本的に変化しているにも関わらず、対応OSをアップデートしないままに従来的な意味を引きずったまま仕事をしている、という現象があちこちで起きています。当然それではうまくいかない。社会や産業がテクノロジーの非連続で極端な進展によって「強制アップデート」されるような状況にあるわけです。

尾原 リーマンショック後の世界的な金融緩和の流れの中で、お金を刷りまくったから、刷りまくったお金の行き先がないという過剰流動性の問題も、イノベーションのインフレに拍車をかけているという観点もおもしろかったです。

蛯原 そこも、ぼやっとは認知されているのかもしれないけれど、あまりしっかり整理整頓して語られていないですよね。だけど、過剰流動性の問題がスタートアップブームやユニコーンの増加の原因になっている因果関係は、本書に書いたように明らかなのです。そのように明示的に言語化してはじめて、それでは過剰流動性が落ち着いたらどうなるのか、と言った事が見えてくると思うのです。

尾原 その象徴として、あの、わかるものしか投資しないウォーレン・バフェット(バリュー投資の神様)が、スタートアップに投資を始めましたね。そうすると、最初に旗を立てたところにお金がどんどん集まるから、結果的に、「Few Takes Almost All.(ごく一部がほとんどすべてを得る)」状況が生まれます。前半のマクロ経済の教科書の内容をざっくりまとめると、こんな感じですね。

中国の強さの秘密と、インド移民一世の広がり

蛯原 話は変わりますが、僕は例えば、地方創成に取り組んでいるような方にこそ本書を読んでほしいと思っています。ノンテクノロジストで、ものすごい(このような世界と)遠いと思っている方に、この本が届けばうれしいなと。

尾原 「遠く」というのは、地方という物理的な距離もあるけれども、たとえばシングルマザーだったり、高齢者だったり、中心にいないという意味での「遠く」なので、実は、遠くにいる人ほど、テクノロジーによるエンパワーメントの恩恵を受けられるというのが、テクノロジー思考の大事なところですよね?

蛯原 おっしゃるとおりです。例えば高齢者の方がこの本を読んで何かするというよりは、その対策を考える政治家や、行政の担当者や、コンサルのみなさんに少しでも役立てばいいなと。

尾原 「遠く」というのは、フロンティアですから、実は一番のチャンスでもあります。その「遠く」がどこにあるかを見極めるのが、これからの起業家としては大事だし、大企業にとってもスタートアップ的なやり方をすれば、まだまだ参入できるということです。

蛯原 「遠く」に関して言えば、都市化に関連した話として都市デザインについても本書では少し触れています。例えばなんで中国が国家として強いのかというと、人がたくさんいるということもあるけれど、ニューヨークとLAとシカゴのように、お互いに強みが重ならない複数の、かつそれぞれに大きく強い一級都市がたくさんあって、またそれぞれが別の特徴、役割、経済圏を持っているから、という面があります。日本の場合はその点、一極集中度はフランスやイギリスなどとさしてかわらないものの、どの都市も金太郎飴的に似たりよったり、というところがあると思います。

尾原 もともと福岡と仙台と札幌はぜんぜん違う文化があったはずなのに、いつのまにか金太郎飴になっちゃった。

蛯原 そのあたりに地方創生のヒントが隠されています。もっとコミュニティの単位を小さくしなきゃダメというのは、みんな薄々感じているんだけど、それを言語化して、しっかり論理立てて、認識するというのは大事です。

尾原 インドで衝撃的だったのは、蛯原さんに教えていただいたNRIの話で。

蛯原 野村総研(Nomura Research Institute)じゃなくて(笑)、Non-resident Indians、国外在住のインド人、いわゆる印僑のことですね。移民は、実はものすごい大きな潮流だと思っています。アングロサクソン、ユダヤさんもすごいんだけど、いまはインド移民一世が世界の頭脳をかなり支配的に押さえていますね。インドはネクスト・チャイナ的な文脈で語られがちで、中間層が勃興して可処分所得やGDPが上がって…といった内需成長の話もよいのだけれど、それよりも世界に対するインパクトとしてはインド在外のインド人移民、しかもその一世の形成する経済圏、社会インパクトのほうがはるかに大きいと考えており、本書ではそのような「移民論」を展開しています。

尾原 そうですよね。気づいてみれば、バフェットの後継者アジット・ジェインもインド移民、孫さんの裏でブレーンを務めているラジーブ・ミスラもインド移民、鉄鋼王ミッタルもインド移民、もちろんグーグルのCEOサンダー・ピチャイも、マイクロソフトのCEOサティア・ナデラもインド移民です。この状況をちゃんと見ておかないと、ビジネスの方向性を見誤る。

蛯原 あと、その話をすると必ず、「じゃあなんでインド人ってそんなにすごいの?」、という質問をものすごくよく聞かれるんです。本書ではそこも解き明かすべく歴史や文化の話にも触れてしっかり解説しています。

尾原 僕も勉強になりました。これからどこに向かうのかという未来は、どこから来たのかという歴史を知っておくと、もっと理解しやすくなる。もう1つ、歴史を知っておくと、その国の人たちと仲良くなりやすいという面もあります。たとえば、中国の方と話すときに、中国というのは世界の中で唯一洪水を治水によってコントロールした民だから、データの洪水に対しても、きっと何かできるんですよね? みたいな聞き方をすると、相手も機嫌よくなっていろいろ話してくれます。

蛯原 僕はつねづね思うんですが、人間は自分の国のことを語るのは実はあまりうまくありません。シンガポール人にシンガポールのこと、アメリカ人にアメリカの事を聞いてもイマイチいい答えが返って来ない、という経験が多い。僕みたいな外国人が、インドのこと、中国のことを冷静客観的に他の国々とも比較検討し分析して語ったほうがかえってわかりやすい、という事があると思うのです。ちなみにそれもあって、実は本書では日本のことは一切書いていないんです。

尾原 そういえばそうですね! 外国人のほうがよく見えることがあるという意味では、アリババやテンセントの方と話したときに、日本にはキャラクターというアバター文化があって、これからのIoT時代にめっちゃ大事になってくるよねと言われて、ハッとさせられたり。第2次世界大戦中に出た『菊と刀』(ルース・ベネディクト、講談社古典新訳文庫ほか)によって、当時の日本人が誇りと恥の文化を再発見したように、トヨタのカイゼンも、アメリカで解体されてリーンスタートアップとなり、それが再輸入される形で自分たちの特異性を再認識することもあります。

尾原和啓(おばら・かずひろ)
フューチャリスト、藤原投資顧問、書生
1970年生まれ。京都大学大学院工学研究科応用人工知能論講座修了。マッキンゼー、i-mode、リクルート(2回)、Google、楽天(執行役員)など12社で新規事業、投資に従事。経済産業省対外通商政策委員、産業総合研究所人工知能センターアドバイザーなどを歴任。著書に『ITビジネスの原理』(NHK出版)、『どこでも誰とでも働ける』(ダイヤモンド社)、近著『モチベーション革命』(幻冬舎)はAmazon電子書籍会員にて年間総合一位。『アフターデジタル』(藤井保文氏との共著、日経BP社)は経産世耕大臣の推薦。 写真撮影:疋田千里

間違いだらけのスタートアップ振興策

蛯原 インドの章では、「スタートアップと経済格差と『ピア効果』」という話もしています。

尾原 ピア効果、めっちゃ大事です。

蛯原 MITやスタンフォードにいれば、まわりに起業家やその予備軍だらけなので、「あいつにできるなら俺にも」という気になります。簡単に言えばそれがピア効果です。人間は海の向こうのヒーロー起業家よりも、所属しているコミュニティ構成員、つまり同級生や同僚に最も影響を受けるものだ、という統計的な事実です。スタートアップ振興策は、日本に限らずどの国も盛んに取り組んでいるけれども、真っ先に知っておいてほしいのがこの、ピア効果なんです。同じ釜の飯を食わせれば、ザッツ・オール、と言ったら乱暴だが、それくらい根本的で重要な事なのです。

尾原 日本にも76世代(GREEの田中良和さん、mixiの笠原健治さん、はてなの近藤淳也さん)や、81世代(nanapi創業者の古川健介さん、エンジェル投資家有安伸宏さん、元メルカリの松本龍祐さん)みたいな形で、実は無意識のピア効果ってあるはずなんですよ。それを意図して再生産しているかどうかがめちゃめちゃ大事。

蛯原 意外と意識できていないんです。たとえば、インドネシアとかは意図的にやっていて、理工系の最高峰バンドン工科大学でも、アントレプレナーシップということを積極的にやっている。スタンフォードみたいに。だから、それを意識するだけでもリソースの配分が違ってくるはずです。

尾原 ところで、蛯原さんがこの本で書きたかったけど、実は落としちゃった、ということはありますか?

蛯原 どうしても書きたかった、というわけではないが、データ資本主義のところで、ケンブリッジ・アナリティカ問題は、実は最初かなり詳細に書いたけれども相当バッサリと削りました。ちょっとマニアック過ぎたかな、と。しかし折しもいま、ネットフリックスで「グレート・ハック:SNS史上最悪のスキャンダル」というドキュメンタリー番組が話題になって、そこはちょうど補完関係的に、その番組を見れて、本書を読んでいただければかなり分かりがよいかと思います。

尾原 ネットフリックスの「グレート・ハック」はすごくいい作品ですから、未見の方はぜひ。もともとはジャーナリストのキャロル・キャドウォラダーがすっぱ抜いたところから始まったんですよね(参考:ブレグジットにおけるFacebookの役割とは―民主主義に対する脅威)。

蛯原 データエコノミーに関しては、それが副読本になると思います。

尾原 最後に、僕はこの本を新しい「地球の歩き方」だと思っています。残念ながら、日本はイノベーションのフィルターバブルに包まれていて、日本にいたら、世界中で起こっている社会変革に気づかない。アジアではとっくに馬車がなくなって、自動車ばかりになっているのに、日本だけが馬車社会のまま、という状況です。だから、僕たちは外に出て、インターネットの外に落ちている変革の芽に早くキャッチアップしたほうがいいんです。いったん自分事化できれば、世界にはまだまだソーシャルインパクトのネタがゴロゴロ転がっています。

蛯原 僕は日本の大企業と、インドや中国や東南アジアのローカルのイノベーターが一緒になって、本書にも書いたいま人類に起きている最も巨大な変化、すなわち地方革命、ソーシャルインパクト革命、そしてデジタルトランスフォーメーションにアタックするのが理想的なやり方だと思っています。僕はベンチャーキャピタルとしてファンド出資者である日本企業と、その投資先であるアジアのスタートアップをつなげる事でそれに職業として取り組んでいるわけですが、本書が契機となってそれがさらに10倍、100倍となり川が広がっていく事を願っています。

尾原 浮世絵を見るまで、西洋人は雨を絵に線として描かなかったそうです。浮世絵ではじめて雨が直線的に降っていることを認識した。その意味で、僕らより先に冒険を続けられてきた蛯原さんには見えている世界があって、この本を通じて僕たちもそれを垣間見ることができる。それによって次のチャンスに気づく人が増えます。だから、『テクノロジー思考』は冒険のガイドブックになっているのです。(終わり)