「全ての人にテクノロジーに対する理解が必須となった時代――しかし、テクノロジスト以外のノン・テクノロジストが知り、身につけるべきはテ クノロジーそのものではない。テクノロジー思考である。」
この刺激的なメッセージを中心とする書籍、『テクノロジー思考』が発売となりました。同書は、シンガポールからイノベーション投資を通じて世界を見渡すVC(ベンチャー・キャピタリスト)・蛯原健氏の初の著書であり、まさにノン・テクノロジストに新たな視点を与えてくれる1冊です。
この連載では、同書の一部を再編集して公開していきます。第3回は、テクノロジーとの関係が深い「イノベーション」が、なぜ今ここまで持てはやされるのかの秘密に迫ります。

なぜ現代は、イノベーション至上主義の時代なのか

 イノベーションは現代社会における金科玉条である。これに取り組まないものは無能、または悪である。好むと好まざるとにかかわらず、それが世界の職業人の常識となった時代に我々は生きている。イノベーションの要請は企業単位、産業単位、国家単位、行政単位、そして個人単位、これらすべてにおいて等しく起きており、日増しに大きくなる一方である。

 なぜか。その理由はテクノロジー発展スピードの近年における非連続な激化である。これを説明するにはまず、テクノロジーと人間の関係性の歴史を少し紐解かねばならない。

 そもそも人類の歴史は常に技術とともにある。技術史イコール人類史、そう言っても過言ではない。
 人間が石器という道具を生み出す前と後、「駆動源」を生み出した第一次産業革命の前と後、そして「電力」を生み出した第二次産業革命の前と後、それらのテクノロジー革新は人類に他の何にも増して圧倒的なインパクトを与えてきた。もっと具体的に言えば、テクノロジー革命によって人類は自らの生存の確率と期間を飛躍的に向上させ、また富の生産性を指数関数的に向上させてきた。そのことを端的に証明する2つの指標がある。人口とGDPである。世界の人口とGDPの推移を見るとこれら技術革命の前後で大きくその成長カーブが変わったことが一目瞭然である。

 しかしながら、それら過去の出来事と比べ物にならないインパクトのテクノロジーが近年になり登場した。コンピュータである。

 1948年にウィリアム・ショックレーらによってこの世にデビューしたトランジスタ、それに続く1951年世界最初の商用向け量産型電子コンピュータ「UNIVAC I」の登場である。

UNIVAC I の内部写真。(Author:Alejandro Quintanar)


 そこからの技術革新は、それ以前とは比べ物にならない指数関数的進化を人類にもたらした。人口もGDPの成長カーブも大きく変わり、文字通りホッケースティック・カーブを描いた。

 その結果、コンピューティング革命の後のたかだか70年(たったの70年である)の面積と、それ以前の数千年の面積がほとんど変わらない、というほどに人類の寿命が伸び、富が増えた。つまりはテクノロジーによる人類の進化の度合いと速度がそれまでとは非連続に、極端に変わったのである。

 このような強烈なテクノロジーこそコンピューティングであり、加えてその力をエンハンス(拡張)する翼であるところの情報通信技術、すなわちインターネット、モバイル、またそれらのプロトコルであるTCP/IP、HTTP、ブロックチェーン等々である。

 これにより何が起きたか。マスメディア産業はITプラットフォーマー企業群にあっという間に斜陽産業に追いやられた。小売はEコマースによって、音楽・映像産業はオンライン配信企業によって、産業全体の大幅な規模縮小や再編を強いられることとなった。

 ところが、それはまだインターネットの中だけの話、つまりは序の口であった。コンピューティング・テクノロジーという非連続で劇的な発展が人類に対して迫る革新はそれで止まるはずもなく、いまやインターネットの外、つまりはあまねく全産業に染み出し、そして革新(デジタルトランスフォーメーション)を迫っている。

 タクシーはライドシェアにより代替され、銀行や証券業はフィンテックによって破壊的革新がなされている。製造業はロボティクスとFA(Factory Automation)によって雇用が激減し、不動産業や宿泊業や交通産業はシェアリングエコノミーにより経営革新を迫られている。

 このような革新の激流においては、我々はいかなる産業、職種に属していようともすべからく、自らもそれに適応すべく革新(イノベーション)に取り組まなければならない。すなわちイノベーション至上主義時代に突入しているのである。

 1900年代にテクノロジーの進展により自動車の量産がなされた際は、それまでの馬車時代の生活や職業の在り方は否が応にも革新を迫られた。それが今度は自動運転となれば再び自らの革新を迫られる、といった具合である。

 このような世界においては、「社会の変化のスピードとインパクトよりも自らの革新が速く、大きければ勝ち、逆に遅く小さければ負け」、これがルールとなる。このルールがイノベーション至上主義という現代社会のドグマを生んだのである。

イノベーターの新しい常道

 こうして人類の「イノベーションの需要」が高まると何が起きるか。中学の教科書に書いてある通り、その値段が上がる、が正解である。イノベーションはインフレしている。これからもどんどんインフレする。ユニコーン、すなわち時価総額10億米ドル以上の未上場企業をそう呼んでブーム化している理由もそこにある。

 イノベーションを実現するのに最も適した組織体がスタートアップである。ゆえに皆がスタートアップを追い求め、その値段が上がる。

 値段が上がる世界においては常にケインズの美人投票理論が効いてくる。すなわち本質がどうであれスタートアップを皆が追い求め始めると他の皆もそれを買い始める。そうして値段は究極まで吊り上がる。

 イノベーション至上主義とそのインフレ(昨今の状況を見るとハイパーインフレと言ってもよいかもしれない)は、一方であるものをデフレさせている。

 失敗である。
 失敗のデフレ、あるいは失敗のコストの極小化と言ってもいい。

 スタートアップのグル(教祖)、米国最高峰スタートアップアクセラレータであるYコンビネーター創業者のポール・グレアムはかつてこう言った。

「大学を卒業した22歳が起業して失敗したとて、単に無職の23歳になるだけの話だ」

 つまり、また就職すればいいし失うものなどなきに等しいという話である。

 その背景には、まずスタートアップ自体のコストの劇的な低下がある。サーバ代や開発期間(つまりその間に要するエンジニアの人月コスト)が劇的に小さくなっている。90年代はそれらに億円単位の金がかかったが、今やクラウドサーバやノンエンジニアの素人でもウェブサイトやアプリが作れる無数のソフトウェアツールがある。それらを使ってコストゼロからスタートして事業のスケールに応じて漸増すればよい。

 これはすなわち「失敗のコスト」が安くなった、ということと表裏一体である。あるものの値段はそれを失った際の損失と同義だからである。

 これは直近の20年ほどの間で起きた劇的な変化である。またこれは鶏と卵であって、スタートアップの数がこの20年で激増したがゆえにそれらのコストが逓減してきたということもできる。ということは今後ともテクノロジーが進展すればするほど、イノベーション要請は高まり、その要請に応じてスタートアップもますます増える。よってこのトレンドは不可逆的に続く。

 ここから得られる教訓は何か。
 イノベーションに取り組む者は失敗を量産すべきである、という命題である。

 失敗のコストが極小化しているということは、それを回避することによって生じる機会損失のほうが相対的に大きくなったということと同義だからである。失敗と成功はその確率はともかくとして(圧倒的に失敗のほうが多いのが普通である)必ず共存する。したがって、成功を追い求める者であるならば失敗を避けるということはそもそも合理的な選択行動ではない。失敗のコストは有難いことに極小化したのである。

 失敗を取り込みながら成功する、成功するまで失敗のマネージを続ける。
 これがイノベーターの新しい常道である。