社会は「フェア」にできている
投資家としての私が投資をするのは、長期的に成長する見込みのある会社です。短期的な目線の会社には原則として投資しません。
目先の利益に目がくらみ、株主や従業員、お客さんを軽視した不真面目な会社が、短期的に株価が上昇することがあります。
しかし、株式市場は限りなくフェアな世界であり、長期的に見れば、そういう会社はやがて凋落していきます。
資本主義の社会では、正しい方法でお客さんや世間からの信用を得られない限り、長期的に利益を上げ続けていくことは不可能なのです。真面目に世の中のために努力している会社しか成長し続けられないようになっています。
お客さんのことをきちんと考えていて、社員のことも愛している。そういう「利他の心」がある人たちに投資をして、日本の将来に賭けてみる。それによって明るい社会をつくっていくための循環が生まれます。
それが私の考えている株式投資というものです。
これは、株式投資においての話だけではありません。個人の生き方についても、同じことが言えるはずです。
自分自身が明るい社会をつくる存在になるために、真面目に生き、自分に投資して、成長を手に入れる。これに勝るリターンなどないのだと思うのです。
日本人は「個人主義」すぎる?
真の意味で「投資家みたいに生きる」ためには、このように「世の中をよくする」ということをいつも意識することが大切です。
ただ、日本人にはどうもその考え方が苦手なようです。なぜでしょうか。
それは、日本人は、根本的には個人主義な人が多いからです。
自分さえ得すればいい。自分の家族だけ安心ならいい。自分の会社だけ儲かればいい。自分の地域だけ安全ならいい。自分の国だけうまくいけばいい……。
こうしたマインドは、日本人が「寄付をしない」国民だということにも表れています。
日本人の寄付の金額は、年間で1人当たり約2500円。一方、アメリカ人の年間平均は、13万円です。毎月1万円以上寄付していることになります。
公共経済学では、世界的に見ても「日本人は公共心がない」というのが通説のようです。
経済は互恵関係ですから、寄付も投資もしないということは、社会に貢献する意識が薄いと評価されても仕方ありません。
以前、あるお坊さんから聞いたお話で、大きな気づきがありました。
それは、仏教の「一如」という言葉です(英語では「oneness」という言葉が近いでしょう)。
一如とは、宇宙のすべての大もとは一緒という原則です。人間は社会的な動物であり、周囲の存在と切っても切れない関係にあります。
ところが、日本人は欧米に比べて信仰心が弱いので、この一如の意識が希薄化してしまっているのではないかといいます。たしかに、日本人が投資や寄付をあまりやりたがらないのも、自分と社会との一体感がなく、「自分の財布は自分だけのものだ」と考えているからではないでしょうか。
仮に1万円を寄付するとします。
すると、手元からは「1万円札」がなくなります。喪失感があるかもしれません。
けれど、もし寄付先との間に共有感があって、心理的につながっているのであれば、1万円は移動しただけで、「減っていない」ととらえることもできるはずです。
自分も他人もすべて一緒であり、何事も世の中のためになると思えば、投資も寄付も快くできるはずです。