人々に夢を見させるオペラという形態でありながら、さまざまな問題や平凡で普通の人々について語るオペラとは…?イタリアの人気音楽プロデューサーで、ドニゼッティ音楽祭芸術監督兼演出家のフランチェスコ・ミケーリ氏に、オペラ初心者であるビジネスパーソンへお薦めのオペラは何か?聞いてみました(10月3日発売書籍『クラシック名曲全史』よりご紹介する内容。聞き手は同書著者の松田亜有子氏、翻訳は井内美香氏)。
Q.いつからオペラ演出家になろうと思ったのですか。
(演出家・ドニゼッティ音楽祭芸術監督)
国内外の主要な芸術祭、劇場に招かれ、数々の舞台をプロデュースするほか、ミラノ・スカラ座管弦楽団との子ども向け教育プログラムをはじめ、より多くの人々がオペラの世界を楽しむためのプログラムを劇場と制作している。テレビでも毎週ホストを務めるなど、教育者としても注目を浴びるイタリアのスター。ベルガモ出身。
私が11歳だった時、家族全員でミロス・フォアマン監督の映画『アマデウス』を見に行きました。オーストリアの作曲家モーツァルトの生涯についての映画です。私はすぐに、主人公であるアントニオ・サリエリ--モーツァルトではなくそのライバルであり、ウィーンで活躍したイタリア人作曲家のキャラクターに夢中になりました。サリエリは自身に才能がないことと同時に、モーツァルト突出した力をはっきりと理解できたために不幸だったのです。
しかし、この映画でのサリエリには比類ない才能がありました。それはモーツァルトの音楽がいかに美しいか描写する才能で、彼が物語るのを聞くことは素晴らしい体験でした。私にとっては、モーツァルトの音楽そのものよりも、サリエリがモーツァルトについて巡らせるさまざまな思考を追うことのほうが魅力的でした。
私は音楽家ではありませんでしたが、音楽を愛していました。私がモーツァルトのような天才でないのは明らかで、そのことを悲しく思いました――おそらくはサリエリが感じたのと同じほどに。しかしこの映画が私を、その悲しみから救ってくれました。さまざまな偉大な物事の美しさを多くの人々にわかるよう伝えるのは、貴重な能力になり得る、とわかったからです。
どうすれば、それが可能になるか? 人々は、大人になった時にも、物語やおとぎ話を必要としています。モーツァルトのオペラ『魔笛』がそうであるように。これまでもずっとそうでしたし、これからもそうでしょう。
当時の私にはまだ、オペラ演出家になりたいという夢は明確なものではありませんでしたが、私は今も、私たちの主要な仕事は、創作された、または実在の男たちや女たちの物語を、音楽と劇の力をもって、明確で吸引力のある手法で語ることにあると信じています。
Q.ミケーリさんご自身が好きなオペラは何ですか?
モーツァルトの『魔笛』は私が初めて出合ったオペラで、今も聴くたびに私を驚嘆させられます。子どものためのおとぎ話ですが、人間の本質についての哲学的な暗喩でもあります。私たちの誰もが、人生のあらゆる局面において、聞くたびに新しく何かいうべきことを発見するような、そんなオペラです。
それから大好きなのは、ガエターノ・ドニゼッティの『ランメルモールのルチア』です。若者たちが、死に至るほどまでに、どれほど勇敢かつ情熱的であることができるのかを、非常にうまく物語っています。それに加えて、ドニゼッティは私の故郷ベルガモの出身ですから、私はこの作曲家に対して同胞愛のような親しみを感じているのです。
さらに私を熱狂させるのは、アメリカの音楽家レナード・バーンスタインの『キャンディード』で、私にとって彼は、20世紀の最も偉大なオペラ作曲家です。世界の人類についての膨大で悲劇的な作品で、すべてが皮肉の流れのうえに語られています。
Q.クラシック入門者であるビジネスパーソンに向けてお薦めのオペラを挙げていただくとすれば、何でしょうか。
疑問の余地なく熱意をもってお薦めするのは、ジャコモ・プッチーニの『ラ・ボエーム』の素晴らしい世界に身を投じることです。1896年に生まれた作品で、なんと私の祖母と同い年です!
このことが私たちに教えてくれるのは、たとえ遠い19世紀の作品であろうと、当時すでに、20世紀が視野に入っていたということです。20世紀は映画の時代であり、映画はサウンド・トラックの存在ゆえに、常にこのイタリア人作曲家の興趣からインスピレーションを得てきた芸術形態です。映画は“オペラのお気に入りの息子”です。
さらに『ラ・ボエーム』は、ヨーロッパで最もロマンティックな街であるパリを舞台にしています。近代的な大都市で騒々しくせわしないにもかかわらず、いやむしろそれゆえに、パリは美しく魅力的な街です。そのようにこの作品は、人々に夢を見させるオペラという形態でありながら、さまざまな問題や、平凡で普通の人々について語っています。これは非常に稀なことです。
オペラの中では一般に、英雄たちが戦って死ぬといった特別の事態が語られます。主人公たちの愛は絶対的なもので、愛が終わるのは死ぬ時だけなのです。
それに対して『ラ・ボエーム』の登場人物たちは、苦労して生きる道を探している若者たちで、誰もが失敗を犯し、迷っています……ちょうど今日の若者たちが、残念ながらしばしばそうであるように。二人の主人公たちの愛が不幸な結果に終わったのは、勇気や抵抗する力がなかったこと、疲れや倦怠などによるもので、これらもまさに、残念ながら非常にしばしば、私たち自身やその恋愛関係において起こることです。ヒロインのミミは結核で命を落としますが、科学がいまだ勝つことができない数々の病気のために若くして死んでしまう人は、現代にも残念ながら多くいます。
『ラ・ボエーム』は、夢と現実の人生について同時に語ってくれるという点で、ほかのどんなオペラよりも雄弁です。
人生と愛と、そしてパリに恋をさせるオペラです。